とくべつなひと

死が別つものを 村上春樹はかつて「喪失感」と表現したけど、
「喪失感」なんて ねぇ、
それが自分の所有物だと信じていることが 前提の、
自分の感傷や自分の痛みや自分の孤独感に付随する感情なので

わたしはわたしの大事なもののために わたし自身に陶酔なんて できない し、


ほんとうの悲しみは 甘ったるい「喪失感」のことであるはずもなく、

それは ちっぽけな自分なんて その瞬間に完全に消滅してしまうくらい、

容赦のない断絶のことだったよ



希望も記憶も言葉も思い出も優しい心も 才能も
信じているだけじゃなくて 確かに繋がることで存在していた事象のすべてが

いっぺんに ぜんぶ ハサミで切れた



伝えたいことも云いたいこともありすぎるから 言葉にして削りたくはない

意味付けたり 言い訳したりしたくない
だから何も喋らないよ



希望が去り、これからわたしは何になるかな

何になるんだろう

おたんじょうび過ぎた

12月12日は誕生日でした。普段なかなか会えないともだちからもバースデイメッセージを頂いたりして、とてもとてもとても 嬉しかった!今年のお誕生日ディナーは、WRの今年いちばん忙しい時期と重なってしまい、お店選びも直前まですったもんだした果てに、駆け込み予約で外苑前のRESTAURANT FORESTへ。久しぶりに静かで落ち着ける夕餉の時間が過ごせて幸せでした。

毎年思うけど、誕生日だからといって、また一つ齢をとったなあ、という実感なんて湧くものじゃない。年齢は 身体の細胞が日々 少しずつ少しずつ入れ替わって成長し、老化していくことで、そんなことは誰にも自覚しようがないから、だから誕生日がきたことを 毎年皆で確かめ合わなくてはいけないのです。

会社で過ごす時間が長いので、考えるけど、やっぱり企業というか社会組織は 男のものだと強く思う。例えば専門職に就いていたとして 同じ資格を有する男女が同じように働いたとしても、組織や社会の上に立つ者が男である以上、女は男に選ばれる、選んでもらう存在となる。あたりまえすぎてわざわざ云うまでもないことだけど、やはり美人は得をするということ。面倒な接待や、お門違いの役回りを押し付けられたり、もっと予想だにしないおぞましく嫌な出来事に巻き込まれるリスクも多分にあるのだろうけれど、それを差し引いたって、それでもやっぱり抜群にチャンスを、物品を、寵愛や恩恵を 与えられているようだ。女同士の軋轢のすべての根源は、誰もそうだと意識しないけど、男による女の扱い方の違いに根差していると思える。社会学の話をしたいわけじゃないけど、なんか、なんだか、表面上は皆が「みんな平等」みたいに振舞ってるけど、大切なお歳暮を選ぶときに 味は同じ果物の中から一等見た目がきれいな果実を選ぶみたいに、言葉にされることもないくらいあたりまえに、一目瞭然の断絶がある。社会学みたいな話がしたいわけじゃないんだけど…会社にいると あらゆるレベルにおいて残酷な場面を多々目撃する。可視化されるものも隠匿されているものも。たとえ目に見える公然とした形をしていても、パステルカラーの砂糖で包まれた毒々しいお菓子みたいに 説明の必要さえないほんとうのあたりまえのことは きれいに包み隠されている。清潔で不浄で清潔で不浄できたなくてきれい、目の前の席のアナゴさんに似たおじさん ネクタイの結び目の結界で本能を制御中 会話したくないわたし 目の動きで耳の聴こえない女の子の振りをしている ほんとうは 今すぐにでも 走っておうちにかえりたいのに!


むかしみたいに 月曜や火曜や木曜のお昼に住宅街を散歩していたいので、早かれ遅かれ、いつかは会社を辞めようと夢想。

99+1

会社の、55歳だけど自分はイケてると勘違いしたオヤジから、頼まれ仕事をやってあげるそのたびに「お礼」と称して食事に誘われるのがもはやいよいよ死にそうになるほど気持ち悪く、同じく職場の40歳のUB(ウザイババア)と婚活スイーツ32歳の狂騒状態ももう半年以上も末期状態を維持していて、ストレスが溜まる。ストレスが溜まる。醜く酷いストレスが溜まる。家族と共に過ごせるのは一日の中の1%くらいのものだし、まいにちの暮らし、生きていくっていうのは、99%の汚いもの見たくないことと1%の強烈に素晴らしいことでできているのだと 思う。

ダイアンのライブを観たダイアンに初めて会ったそれで地球でいちばん美しいひとは彼女って決めた、今年の地球最高の美しいものに触れたので、また明日からの99%の醜いものも、これでぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ消し去ることができる。すてきとかきれいとかすばらしいとかかわいいとかうつくしいとか、これから彼女以外の誰かにそんな言葉を使うようなひとがいたら、ぜったいぜったい許さないから。わたしの目も耳も、彼女にすべて奪われた。

だけど一つだけ言わせてほしいのは、会場ですれ違ったあるひとが わたしの顔をしげしげと覗き込むから、どうせ「この娘ダイアンの真似してる」って思ったのに違いないと思えたのだけど、わたしは産まれたときからこの髪型とこのお化粧をしているわけなので、むしろ彼女のほうが わたしのようなひとたちの真似をしてるんですよ、ってこと。

今年もまだ少しライブが残ってる けれど、昨晩の彼女に勝てるひとなんていない。大好き。

1.Forgiveness
2.Choo Choo
3.Nothing But A Miracle
4.Ariel
5.Fire Escape
6.Every Now And Again
7.Magic View
8.Dont Wait Up
9.Mirror Mirror
10.Rewind
11.Fools
12.You Dont Know/Ive Got A Feeling
13.Valentino

E1.Jingle Bells
E2.Photograph

ふかふかで獰猛

12月。お誕生日にクリスマス。レストラン!ホールケーキ!プレゼント!12月って わたし 大好き。

雨の土曜日 友紀ちゃんのご紹介で、江戸川橋の「シイナケンジ」にディナーに行く。新鮮なカルパッチョ、スパイスの効いたタプナード、それからこのお店の目玉食材 短角牛の赤ワイン煮込みをワインと一緒に堪能。デザートはサラミチョコレート。よく冷えたチョコの固まりの中に、ナッツがザクザクと混ざりこんでる。前菜からデザートまで、何を食べても美味しい。次は早稲田散歩の後、WRとも一緒に来よう。

友紀ちゃんからはちょっと早いお誕生日の贈り物をいただきました。上野十三やの柘植の見事な櫛と、わたしも大好きなAnna Louのネックレス。今回のデザインは、へんな方角を見つめてるバンビ。とてもとても嬉しかった!ひとからの頂き物は何でも嬉しいっていう感情は 贅沢で我侭なわたしにはまったくなくて、それどころか どんな好意に基づいたものであっても、好きじゃないものや わたしには必要ないものを、満面の笑顔でプレゼントしてくれるひとたちのことを、内心ではテロリストぐらいに思っているので、だからこそ自分の好みを知り尽くしているひとからの贈り物は、ほんとうにほんとうに嬉しい。わたし自身が選んだとしか思えないほど好きなものなのに、それが仲良しのお友達が選んでくれたものだなんて、友紀ちゃんには、毎年 毎年驚かされる。

バンビペンダントの白痴的な可愛さはもちろんのこと、十三やの柘植の櫛は、噂に違わず素晴らしい。家を建てるときの木の匂いがする、柄のところは美しいカーブを描いている、髪を梳かす、という言い方は、プラスティックや「本つげ」って印字してある偽物の櫛を使うときには、金輪際使えない気がする。髪の毛が魔法みたいに さらさらしっとり、これで髪を梳いてる時間は まるで美人のような気分になれます。

暖かな日曜日。お昼までにお互いの用事を済ませて、昼下がりから何週間振りでWRと散歩。この数ヶ月間、朝 昼 夜全部合わせても、一緒に食事をしたのは4、5回。今は、WRの仕事の事情などが色々あって、家が、家というより<若者向けの寮>みたいな感じになっているので。

ぽかぽかの冬空の下、行き着けの服屋と靴屋を渡り歩いて、WRは衣服を購入していた。わたしも暖かそうなコートを見る。珈琲屋へ行き、漫画屋へ行き、夕食までWRはひるね。寝ているか家事をしているか以外で家で数時間ぼーっとすることも久しぶりだったので、わたしも思う存分ぼーっと過ごして、i-tunesにCDを投入したり、ネットの俗悪な巨大掲示板の凶悪犯罪のスレッドなどを読み耽る。こういう姿はぜったいにひとには見せられない。着替えの最中の姿より見せられない。パソコンの平たいディスプレイが、わたしの闇の深淵なのだろうか。夜は動物の内臓を炙って食べる。わたしは肉しか食べません。「もう食べれないよ」と音をあげるWRを尻目に、パクパク食べる。わたしのことを、みんなねこが好きだと思ってるけど、何故わたしがねこが好きなのかというと、わたしは ライオンやトラのこどもが大好きだからだよ。白いライオンや白いトラの仔ならなおさら好きだよ。9月に行った京都旅行は楽しかったな。年末までは、忘年会や家族へのプレゼント選びで きっとあっという間に過ぎるんだろうな。

ぶどうジュースでワイン呑む真似する遊びをずっと弟としてた

金曜夜は 高校時代の同級生、JNKさんと銀座。イタリアン。席について、わたしは赤、彼女は白とワインの色を選択すると、そこからはワイン地獄の始まりで、減っては注がれ、減っては注がれ、わんこそばのようにグラスにワインが注がれていく。お料理も 何の説明もなく、次から次へと運ばれてくる。会社のことや家のことや故郷のこと、色々と話した。銀座発の最終地下鉄は早い。もっとゆっくり飲みたかった、でもわんこそばのワインは当分いいです。


土曜日は美容院。代官山。髪を切って 髪を染めて、髪をトリートメントでいたわった。髪にしてみれば、まるで王侯貴族のような数時間。わたしの髪を切ってくれるディレクターに 3年間も付いていたアシスタントの美少女2人が、スタイリストに昇格したり配置換えになったりして新しいチームになって、この日は初対面のアシスタントがわたしの髪を洗ったり乾かしたりしてた。一生懸命だからいけない。一生懸命つまらない話を話してくれるものだから、王侯貴族さながらの髪とは対照的に、わたし自身は疲労困憊。新しいアシスタントの女の子は、ディレクターから「雪んこさんは 馴れたら何ともないものの、たいへん気難しいお客です」と入れ知恵をされたのだろう、一生懸命明るく会話を振ってきつつも、明らかに 怯えていた。かわいそうだけど、どうにもできない。髪がつるつるになったので、とっぷりと日が沈んだ頃に店を出て、WRと約束している新宿へ急ぐ。一緒につばめハンバーグを食べて、お買い物しながら勉強中のWRを待つ。この頃は 駅ビルのようなファッション複合ビルからデパートメントに至るまで、フロア改装したと思ったら、既存の大手セレクトショップのどれかがどどん、と入店している、という結末ばかり。ファッションビルって、それ本体が広義のセレクトショップであるべきはずなのに、どこもかしこもセレクトだらけ。セレクトが セレクトされている場所で、一万円札の何枚かと引き換えに、衣服をセレクトするわたしたち。わたしは無印で、巨大な吊り下げ式の洗濯物干しを 購入した。これで3本目。壊れたから買い直すのでなく、日に日に増える洗濯物に追いつくために、3本目。


日曜日の夜は、大学時代の同級生のTMMと丸の内。世界中の食べ物でいちばん好きな東京風のフランス料理を食す。ここでもワイン。みるみるうちに1本半のワインを空けて、クラクラと酔う。


日々が忙しい。悩みが尽きない。尽きない悩みを セーターに隠してすまし顔をしている。会社では ひとの嫌なところや弱いところを沢山見せられるから、それはもしかしたら わたしの中にも同じようにあるものかもしれないけど、ほんとうは全然そんなこと思ってない。わたしが正しいって、いつもいつも考える。11月が終わり、わたしたちの12月が来る。ムーミンカレンダー 今年もついに最後の1枚になってしまった。

ただの雑感

珍しくしごとが忙しい。原稿書きと下訳が同時進行で4本とか。こんなときに限って秘書業務も立て込んでいて、招待状のリストを作ったり、社長取材も数本あったし、挙句の果てにはVIPへの手土産に、幻の大福を買いに走らされたりも。

そんなこんなで迎えた週末。金曜日から日曜日まで、両親と叔父叔母夫婦が娘や息子たちに会う為 東京に来てた。偶然、母の誕生日と日程が重なっていた為に、レストランを予約したり、持ち込みケーキをピックアップしたり、親のお買い物に付き合ったり、週末も都内を縦横無尽に飛び回って大忙し。母方のイトコに久しぶりに会ったけれど、二人とも完膚無きまでの理系男子で 他人に媚を売ったり愛想を振りまいたりするような努力が1bitも無い若者たちなので、話がまったく盛り上がらない。このイトコたちを前にすると、巷では社交能力ゼロと専ら評判であるWRですら、底抜けの明るさと社交力を兼ね備えたリア充に見えた。

最近、家を買ったり 赤ちゃんが産まれたりするひとが 多い。身の回りで 結婚するひとたちがぽつりぽつりと現れはじめたときもそうだったけど、こういうのって、潮が満ちてくるときみたいに、ふと気がつくと、足首まで水が浸食してきている 気がする。わたしは 人間の赤ちゃんがきらいで、ねこや まるみちゃんみたいな子のほうがいい。意思を持って、意味のある言葉を喋って、自立している赤ちゃんがいい。ぺたんこのおなかがバレーボールみたいに日に日に膨れ上がっていくなんて 世にも奇妙なグロテスク。そんな中「僕の小規模な生活」第3巻を読み、妻の出産の顛末が恐ろしすぎて、やはりますますこわいと思った。やっぱり、ねこちゃんたちや まるみや ドアラちゃんのほうがいい。単に可愛いだけの生き物がいい。

駅や舗道で、ふらふら よろよろ と歩行しているおばあさんを見ると、齢を取るのがこわい、って思う。若い女がおばさんになりたくないって思うこととは 違うのかもしれないし 本質的には同じことかもしれないけど。シミやシワが増えることは全然こわくないけど、目が霞んで文字が読めなくなったり、耳が遠くて音楽も聴こえなくなったり、足が悪くて好きな場所に歩いていけなくなることを考えると たまらなくこわい。考えただけで死にたくなっちゃう。

もうすぐ11月も終わり。髪を切らなきゃ。ムーミンカレンダーも買いに行かなきゃ。長患いした思春期の悩みのようなところから、十年掛かりで近頃ようやく足を洗えたようだ。そうすると、次はそうでない類の患い事がすくすくと芽吹く。助けて、と 呼ばれた気がして 右手の中の携帯を握って、この四角い金属の中でしか届かない言葉に愕然とする。朝に点いてたテレビのニュースで、チョコレートのコマーシャルを見た。世の中の 全ての物が、人が、別の何かの代替で、それではじめて存在しているような気がする。どうせなら わたしはうつくしい代替品に なりたい。枯葉がはらはらと落ちてくるけど、今が秋という気はしない。夏もなかったし、冬もこないし、春もない。秋もない。

みんな奇遇

週末は母への贈り物を探し探して、先週に続き代官山と表参道を駆け巡った。ほんとうは一日で済ませてしまえる用事だったのに、取り置きバッグをピックアップしたり、ききちゃんにプレゼントするお洋服を探したりして、結局2日間ともお昼はお買い物に 費やす。自分には何も優れたところがないと思っていたけど、この2日間に渡る散財によって、わたしは「消費者」としてはかなり優秀な部類であることが判明。秋から冬にかけて、わたしはほんとうに貧乏になる。いっそアルバイトでも はじめてみようかしら!

土曜の夜は 三宿にて Fのパーティー。今夜は素晴らしい趣向を凝らしたお誕生日会だった。勿論、夢みたいに 楽しい。此処のパーティーは、いつもいつも風変わりで、この日の夜は 参加者の点呼や詩の講義があった。暗闇の中、みなひっそりと背中を丸めて黒板を眺めて座っている。わたしは、パーティーだけで会えるともだち、hさんとSさんの隣に座った。秘密の行事が、厳かに進行していく。前回貰って帰ったインフルエンザも もうすっかりと完治しているよ。HさんとSさんは わたしのことを「サラサラ髪のクラスのマドンナ」と呼んでくれるので、わたしは嬉しくなって、紅茶とホワイトチョコのドーナツをあげた。

寒くない夜道を歩いて帰る。真夜中営業のスーパーマーケットで、WRの為に外国製のポテトチップスを2つ買う。夜でもあかあかと灯りがともる中古レコード屋の前を通りかかったとき、中でレコードを物色している 会社の同僚のSMさん夫妻にバッタリと会う。5分ばかり立ち話をして、家へと急ぐ。WRは大学時代のゼミの同窓会だとかで、早稲田で飲んで わたしよりももっと遅くに帰宅してきた。

日曜日。まるで今日が昨日みたいに、デジャブの中で生きるひとみたいに、代官山と恵比寿と原宿を昨日そっくりに駆け回ったあと、15:30 伊勢丹の正面玄関で友紀ちゃんと会う。今日は映画。「ファッションが教えてくれたこと」を観る。変なタイトル。「理想のカレに出会える100の方法」みたいなタイトル。でも、こんなバカバカしいタイトルに反して、映画の中身は結構良かった。人間関係だとかそのパワーバランスは、5歳の子にも理解できるくらいに単純明快。めちゃくちゃ退屈なお話だけど、これはモードを見るための映画なので、画面に映る服のデザイナーをあてるゲームを心の中で行い続けてさえいれば、全然飽きない。退屈しない。AlexanderWangのお洋服が 欲しいな!

映画館を出て三丁目付近の新宿通りを歩いていると、近所に住むおともだち Mちゃん夫妻に声を掛けられた。昨日、今日と、やたらと知人にバッタリ出会う。Mちゃんは夫のTくんと腕を組み、首に毛皮をぐるぐる巻いて、四谷方面へと消えて行った。Mちゃんもこれからパーティーに行くのかしら。わたしは友紀ちゃんとH&Mで買う前から既に後悔しながら安い服をお買い物して、暗くて静かで素敵なカフェバーで、ボウル山盛りのオニオンリングをたらふく食べた。映画のことや、お買い物のことや、家族のことや、恋人のことや、何やら色々なお喋りをしたよ。

此処のところ、遊んでばかりいても毎日とても忙しかったから、壁際のソファにもたれていた日曜が終わる間近のこの夜に、はじめてリラックスできた気がした。時間のことも予定のことも、すっぽりと頭から抜け落ちた時間。



わたしは 何も読みたくない。

喋りたくない。応えたくない。誰にも侵犯されたくない。

書きたいことなら、たくさんあるけど。此処には決して書かれないような種類のことが。


たくさんある。