カウントダウン

金曜日。さて 今日が終われば3連休、ということで、その昂揚感のみで一日をやり過ごす。わたしが普通の会社で 普通に週5日間勤務する生活をはじめたのは、WRと付き合い始めてからだ。別にちゃんと企業で働け、とか せめて人並みの月給を稼げ、とか その類のことを言われたことも、無言のプレッシャーを感じたことも、あるわけもないけど。ただ 彼は 最後に会ってまた再会するまでの何年かの間に、自分の努力で社会的責任の大きな仕事に就き、けれどもしかし そうやって自分で選んだ仕事を自分で特別なことにするわけではなく、本を読んだり バンドをやったり つまり わたしたちがこどもであった頃の時間軸を 不思議とそのまま並行させて生きていたのであって、わたしにとって それはこの上もなく革新的で特別なことに思われた。それは 一緒に暮らしている今も、そうで、例えばこの頃は二人とも家の中の家具の配置や 請求書や 互いの実家に挨拶へ赴く、等という実務的な事柄に追われまくって、本の一冊も読む暇もとれないのだけれど、WRはその間にも 次の月の休みに行けるわたしたちの好きなライブのチケットをとってくれるし、ロジェ・グルニエの「編集室」を読みかかっている。仕事から帰った1時間でドラムの練習に出掛けてゆくし、日経新聞が届くのを楽しみに待っている。いつもたのしいこと おもしろいことに心が向いていて、そのたのしいことやおもしろいことは わたしにとってのたのしいことおもしろいことにとてもよく響き合う。そしてたのしいことやおもしろいことが何であるかということを知っているわたしは、たのしいことおもしろいことに真剣に向き合っていく困難さも知っている、ので、好きなことをしているだけのひとのことを 凄いと思ったりする身勝手さは承知の上だけど、とても凄いと思う。


わたしはというと、金曜の夜は、くたびれ果てて、ベッドの上でねこ人形を操ってねこ踊りをするのが精一杯だった。ねこ人形は 日ごと 二匹各々が独自の性格を見せはじめ、可愛さを増している。ねこ人形は、ねこの顔のかたちをした飛行船に乗って、ねこの国からやって来たということだ。ねこの国には 戦争も貧困もオイルショックも二日酔いも無いのだという。ねこの国は、ねこの腕にねこが抱かれ、そのねこの腕にもねこが抱かれた、マトリョーシカのかたちの世界だという。ねこ人形は どうして我が家へやって来たのだろう。