ライフイズナウ

しばらく雨で寒かった。先月までは冗談のように暑かったというのに、朝と夜の冷気はまるで冬のはじまりのよう。季節が循環する。人間は それに合わせて一年中 汗をかいたりクシャミをしたり服を脱いだり重ね着したり、いっこうに心休まるときがない。

学生(=こども)と社会人(=おとな)の違いについて。それは責任の有無だ、というけど、そんなのまるっきりの嘘っぱちだ。じぶんの人生の責任は自分でとって生きていくのが社会人だとよく聞くけれど、こどもの時代にどう過ごしたか(過ごさざるを得なかったか)の責任を、一生かけて取らされてゆくのが社会生活だと思う。責任を表現できるのは経過だけ。だって世に聞く“社会の一員としての、仕事上での責任”なんて、その失敗がすなわち自分の生命の危険に繋がるような、よほどのリスクの中で仕事をしているひとでない限り、すべては自尊心の幻想だもの。医者でも社長でも大臣でも。個人として責任をまっとうできる仕事なんて、パイロットや兵士や勇気のあり過ぎる消防士くらいではないかと思う。あとは、すべて やめたら終わり。社会的な死を死と錯覚するのは、単に感受性の欠乏だ。

火曜日 帰りの電車で佐々木さんに会って、駅まで一緒に帰る。WRの仕事は遅いはず。休日に買ってきた鉄板焼きの残りの材料をぜんぶ集めて、チャーハンを作ってみた。こういう料理は、“コツ”とされているものが、作り手によって無限にある。炊きたてのご飯を使うべきとする派閥もあれば、むしろ冷えたご飯のほうが美味しい、という一派もいるし、葱の刻み方も タマゴを投げ込むタイミングも、書いてあるものによって、ほんとうに無限のポイントがあるけれど、すべてを実行するとたちまち工程が破綻するので、タマゴをドバ!と入れてご飯をぺタ!と入れて、てきとうに。わたしは記憶力はわりと良いほうなのに、それを取り出し活用するプロセスがどうも天動説すぎていけない。それでもチャーハンぐらいは、ふつうに美味しく作れるけど。