平凡万歳

金曜は何をしたか。会社に行って仕事をした。また 謎の海外局番から電話がかかってきて、連日悩まされている営業・売り込み電話ならばいい加減しつこいし、かと言って英語や仏語のビジネス会話がおっぱじまると 海外語を解さないわたしには なおのこと壊滅的な事態なので、周りで聞き耳をたてるひともいないし黙って電話を切ってしまえ、と思った瞬間、出張に出ている隣の席の上司からの電話だったので、切らないでよかった、と心底思った。

予定のない金曜の夜。まっすぐ家に帰り、スーパーの前でWRと待ち合わせ。夕食の材料を買って家に帰る。この日から、駅の反対側の 生鮮食品が安いスーパーで買い物をすることに決めた(決めたというか、そうするほかない感じ。高いスーパーは高いからダメというのではなく、品揃えにやる気がない。夜になると、作りたい献立が何一つ作れない品揃えの薄さ。高いスーパーは その日売り切れる分しか入荷しないのだろう。そして品揃えが豊富な昼間に、主婦が優雅に買い物をするのであろう)

なんとなくテレビが流れるなか、夜の時間が過ぎる。なんとも平和。しなくてはならないことは相変わらず山積みだけれど、金曜の夜が無事訪れるとひとまずほっとする。束の間だけれど、死ぬまで繰り返す一週間のレースを走りきったような安堵がある。人生は長いということが、時々おそろしくてたまらなくなる。いつか自分の想像を絶するレベルで 疲れたとき、困ったとき、貧しいとき、裏切られたとき、追い詰められたとき、ありとあらゆるおそろしい瞬間がやって来たときに、たったひとりの自分で生きていかなければならないだろうことが おそろしい。金曜の夜には、助走をつけて平日を走りぬいた、その先の崖下のようなイメージがある。うまい具合に止まれるわけもなく、勢いよくまっさかさまに転落するのだけど、深く深く転げ落ちた谷底には 実はふかふかの苔が敷き詰められていて、ふわふわふかふかと 誰にも邪魔されない底で飛び跳ねて、天国のように気持ちよい。