【吉報】ゆきんこ蘇生のお知らせ

こんにちは、【訃報】エントリの通り 見事に死亡したものの、死後の世界でもまいにち日記を書きつづけたい欲望は消えうせないので、本日より霊界から随時更新することになりました。というのは嘘で、そ の 後 息 を 吹 き 返 し た !

昨夜の顛末は まさしく臨死体験だった。何の興味もないサッカーの試合をテレビ観戦中、仮死状態に陥り、周囲を狂乱に陥れたのち、あざやかに蘇生。今は拾った命を謳歌している。ああ、ほんとうに驚いた。

木曜日。ちょうど仕事を切り上げて会社を出ようと思っていた頃に、WRから着信があり「同僚と品川近辺で飲みに行くから ゆきんこも来ない?」とのお誘いを受ける。この日は 部長の来客もなく、まっすぐ帰宅するだけの日だったので わたしは緊張感皆無の 裾がほつれてボロボロになった農村風ワンピースで会社に来ていたので、初対面のWRの同僚に会うのは 実際 かなり気がひけたのだけど、WRが電話で「え!朝見たけどいつもと同じ格好だったし大丈夫だよ」と衝撃的な発言で鼓舞してくれたので、ボロボロの服のまま 待ち合わせ場所まで闊歩する。

初対面のWRの同僚(男女1名ずつ)とはじめましての挨拶をして、19:30から始まるサッカーが観たくてたまらないそのひとたちに連れられて、イギリス風味のパブに入る。わたしとWRは サッカー画面はどうでもよいので、2人並んだ同僚と向き合うかたちで 画面に背を向けて スツールに座る。球や 球に群がるひとびとが、テレビ画面のなかを絶えず右往左往しているので、観戦するのもなかなか忙しい。試合に熱中している2名をよそに、WRと「あんなに走ってるのに ハイソックス全然ズレないね」「このイギリス選手たち ぜったい帰りにアキバに寄って家電買うね」などと ぼそぼそと喋り合う。サッカー好きの2人に言わせると、この日の試合はかなり面白い展開だったそう。お店の中も、点が入るたびに歓声が上がって盛り上がっていたし、同僚の2人も贔屓のチームが点を入れるとワアキャアと盛り上がって、わたしやWRに両手でハイタッチを求めてきた。友人知人とハイタッチを交わした経験など わたしの人生には皆無なので(この瞬間、わたしの手のひらに画鋲が仕込まれていたら、血みどろの惨劇が起きるな…仕込まれてないけど)などと 余計な想像ばかりをしてしまう。WRの同僚のTさんもIさんも 機転が利くひとだったので、お喋りをしていてとても楽しい。サッカー観戦とか、WRとふたりきりの生活ではぜったいにありえないけど、たまには異文化の流儀に身を委ねるのも面白い。

そんな感想を抱きつつ、1パイントサイズのグラスを左手に握ってアハハ、ウフフ、とビールを飲んでいると、急におなかがいたくなった。「?」と思ってトイレに行ってみるけど、ふつうの腹痛とはちがって、胃でも腸でもない見知らぬ臓器が踊りだすようなへんな痛さで、一応トイレに入ってはみても、トイレにいれば治るようなものではない感じは存分にあった。顔面蒼白のまま みんなの待つ席まで戻ると、急に視界が狭くなり「パステルカラーのサイケ」としか言いようのない色使いで眼前がはげしく点滅し(ポケモン現象)、もうスツールに座ってもいられなくなる。視界がまったく閉ざされるけど、それは 目を閉じたときの暗闇とは違う、うすい黄色や緑で発光しているような色の闇で、まわりのひとの声だけが 喧騒のなかから浮き上がって脳に響いてくる。一瞬で溢れでてきた汗で、重ね着しているのにいちばん上に着た服までぐっしょりと濡れた。WRの声が いつになく明瞭に聴こえてくるけど、姿が見えない。こんな状況なのに 自分の頭のなかで過去の記憶が走馬灯のように駆け巡ったので、はじめて「あれ、このまま死ぬのかな?」と考えた。そして死の際というのは、死の瞬間に近づけば近づくだけ「これからやってくるのが死だろうか?」と 段階が進むごとに検証し、思考する必要があり「死ぬときって こんなに忙しいのか」と思っていた。WRの声に応えたいけど あっち(=現世)の世界のわたし(屍)のそばに「ちゃんといる」ことがわかっているので、返事をしなくてもいいや、という気になる。これは 今思うとちょっと面倒だったり忙しかったりしてメールを返さないときの心境にとても近い。相手の所在や行動はわかっていて、わたしは満足(安心)している状態なので、それ以上はもう気が回らない、という感じ。

何はともあれ 瀕死で臨死だった。そして なつかしいWRの声と 背中をさすってくれるIさん(2時間前にはじめてあったばかり)の手の感触を感じつつ、臨終した。

(完)




臨終ののち、安らかに天に召されるかと思いきや、急に視界が開け、ギャグのように息を吹き返してしまった。みんなは救急車を呼ぼうとして、しかしすでに息の根が止まっているからこの場合は霊柩車を呼ぶべきかどうすべきか、と逡巡していたらしいのだけど、すこぶる悪趣味なパフォーマンスのように 死の淵から生還したわたしは「生まれ変わった」という言葉以外何も言葉が見つからないほど、蘇生の瞬間からイキイキと生気に満ち溢れていて、WRと同僚の2人は 呆然としていた。せめてタクシーで帰ろう、と勧める周囲の助言にも耳を貸さず、駅まで歩いて電車で帰宅した。

同僚とお別れしたあと WRとふたりになった帰路では、とうぜん「ゆきんこの臨死」の話題で持ちきり。乗り換え駅のホームでは、夜も遅いこんな時間に シスター装束の3人のおばあさんがわたしたちの前を歩行していて、WRとふたり「天使に誘われている…」と感動に震える。WRも「あのとき いったん ほんとうに死去したのに、なぜか蘇ってる!」と祝福してくれた。

しかし、この夜は 迎えに来てくれたWRと 同僚2人が待つ場所まで歩いているとき、「一度死んで、甦ったでやんす!(出典・漫★画太郎地獄甲子園』)」という台詞を WRもわたしもさかんに口にしていたのだけれど、まさか自分たちが面白がって軽はずみに口にしたこんな台詞が伏線になるとは夢にも思わなかった。

それにしても、TさんとIさんにわたしは「初対面」「臨終」「蘇生」という、通常ありえないコンボをこれでもか、と見せつけてしまった。2人の驚きとドン引きはいかばかりであっただろうか。一連の騒ぎのお詫びと再生の祝いの品として、夜中まで開いているワイン屋でクリスマス用のモエ・エ・シャンドンを購入。明日会ったとき、WRが2人に渡してくれる。

それにしても、死ぬときって色々な雑念が頭を過ぎるわりに、自分のことだけで頭がいっぱいになってしまう(もう死ぬのに、刻一刻と変化する自分の健康状態についてしか考えられなくなる)ので、次に死ぬときも傍に誰かがいてくれるとしたら、とにかくひとつでも伝えたいことを伝えられるように、そのことだけに集中すべきだと思った。死んでしまったあとに後悔しても遅いということ。何はともあれ、蘇生した。ねこの背中は柔らかいし、冬の空気は冷たいし、WRはドラゴンボールの髪型のような寝癖をつけて眠っている。よかった。