ふゆやすみ記7◆名古屋へ 犬に噛まれる

今日から2泊で名古屋へ帰省。午前10時発の新幹線に合わせて 早目に起床し旅支度をしていると、テレビ東京のチャンネルで「ビッグダディ」という わたしたちが釘付けにならざるをえない吸引力を持った番組がおっぱじまってしまった。こんなに続きが気になる番組は今年はじめてのことなのに 恐るべきことに画面のテロップには「6時間スペシャル」などと書いてある!全部見られるわけがない。録画機能がない安テレビのことを、この時はじめて恨めしく思った。
離島に移住したビッグダディは、男手ひとつで8人の子を育てていて、島のひととの微妙に気まずい交流や、まさかの元妻(なぜか3つ子を連れている)の登場など、シチュエーションのありえなさには枚挙に暇がないのだけれど、そういうワイドショー的側面よりもわたしたちがクギ付けになるのはビッグダディ本体に潜む本質的な面白さで、(画面からほとばしるもので判断する限り)彼は己に対する客観性とサービス精神に富んでいて、言動のひとつひとつに異常にとんちが効いている。正直 ごえすかすさんっぽい。

そんなこんなでビッグダディに大いに未練を残しながら、いざ名古屋へ。半年前、彼の地へ赴いたのは、今だに脳内に熱波の記憶が甦って意識が遠のきそうになるほどの、真夏の盛りだった。今回は、厳寒。わたしもWRも、夏のときと同じ旅行鞄を持っているけど、服装の重みが全然違うから、それだけでもへんな感じ。

新年も明けて2日目なので、新幹線は混んでいるけど、乗車率200%とかいう帰省ラッシュの世界とはまるで無縁。今回の旅には ねこ人形のふたりも連れてきたので、ねこを膝に乗せて窓の外を眺める。快晴の空に、富士山がとてもきれいに見えた。新春の富士山とねこが 同じフレームに収まっているという、脅威的におめでたい写真も激撮。WRは「百年の孤独」を読んだり、かと思うとスヤリスヤリと居眠りをしたりしている。

正午に名古屋駅に到着して、ホテルに荷物を預け(WRMはさばけたひとなので、お互いに気を使うのも疲れるし帰省してもホテルに泊まれ、という考えのひと)、お昼を食べに WRに味噌煮込みのお店に連れていってもらう。味噌煮込み、とは 鍋に入ったうどんのことで、うどんの麺が どれだけ茹で時間ケチってるんだよ、と言いたくなるほどに、硬い。あまりの硬茹でに、麺がところどころ直角になっている。しかし 硬い麺は、意外と美味しかった。何度も食べると、もっと美味しく感じるかも。名古屋駅の地下街に入っているお店は 長蛇の列だったけれど、WRが案内してくれた「本店」のほうは 檜造りのテーブルもすべすべとして気持ちよく、広々と席があって、並ばないですんなりと座れた。WRと一緒に名古屋に来る限り、わたしは一本の道も覚えず、一駅の乗り継ぎもわからないままであろう。地元のひとにお膳立てしてもらうのはあまりにも楽で、たちまち脳がスポンジのようになり、破壊的に依存的になっていく。

昼食を済ませて、電車で「本山」という町に移動。夜は そこの町に住む親戚の家を訪問することになっているので。名古屋大学周辺を散歩。見事に人がいない。豊田講堂(豊田とは 当然 トヨタの意)の、アシンメトリ建築は、鋭くて涼やかで、なかなか素敵。お呼ばれまでの時間潰しに、大学近くの喫茶店にいく。何の木かはわからないけど、こげ茶色の重みのあるテーブルが よく磨かれていてすべすべとして、とても居心地がよい。しばし読書に耽る。珈琲もチーズケーキも美味しかった。

その後 駅の近くでWRM、WRSと落ち合って、一緒にWRMの妹ご夫婦のお宅にお邪魔した。ご夫婦と大学生の娘さんひとり(WRのイトコ)がいたまでは至って平凡な話なのだが、恐ろしい話はここからで、そこには 犬 が存在していた。それも リビングに鎮座。戦慄するしかない。

ご馳走が並んだところに出すと全部食べてしまうから、という野蛮極まりない理由で、一時的に屋根のない囲いの中に閉じ込められていたその犬は、囲いを物ともせず、人間のいるほうに飛び跳ねて、囲いごとどんどんこちらに迫ってくる。恐怖のあまり凝視していると「おやつをあげるとおとなしくなるから」と、WRとわたしにおやつの入った小皿を手渡し、ご馳走の仕上げに忙しい叔母はキッチンの奥に消えてしまった。おやつを持っているだけで また囲いとともに猛烈な勢いで迫ってくるので、WRは犬の真上から、囲いの中にポタリ、ポタリとおやつを落としてお茶を濁している。わたしは初対面の印象を悪くしたくはなかったので、無理して手に持っておやつをあげたのだけど、見事に指を齧られた!痛い!!血が出ている!!!ねこだったら、間違って指を噛まれても全然痛くないしむしろ可愛いのに……、犬の歯のあまりの凶悪さに恐れおののき、WRに引率されて 親戚宅の洗面所を勝手に拝借し、キレイキレイで入念に手を洗う。

犬は悪いけど親戚一家はよいひとたちで、アハハ ウフフ と新年会の宴は進む。しかし叔父は意外と癖のあるひと、というか わたしは基本的に世の中のおっさん全員から非常にからかわれやすいようで、お酒がすすむにつれて「WRの嫁は マトリョーシカに似てるなー はっははははは」と わたしをダシにして暴走しはじめた。反射的に(マトリョーシカ……フーン……可愛いってことかな?)と思ったのに、叔母やイトコの娘さんが「お父さん!なんて失礼なことを!」などと窘めたことから、ガーン!となる。失礼なのか!

初対面なので「叔父さまだって、“水木しげるの描く一般人(サラリーマン)”に酷似なさっているではありませんか」と言いたいのをグっとこらえて、「ピロシキクダサイ」「ボルシチ ガ スキデス」などと適当に話を合わせておいたけれども……しかしこの叔父は わたしは勿論のこと、WRとも血縁関係はない叔父なので あえて親戚の「叔父」とは捉えずに、「(不特定多数の集合体から無作為に抽出した)おっさん」と、広義に捉えたほうがよいかもしれない。そうすると、途端にどんな非礼でも許せてしまう。「おっさん」という期待値の低すぎるジャンルの存在に感謝すべき。

この日訪れたお店
山本屋本店http://www.yamamotoyahonten.co.jp/
西原珈琲店http://members.at.infoseek.co.jp/cafe_nishihara/