タワートウキョウ

終業後に 3 on 3 で餃子の会。
http://d.hatena.ne.jp/nekkorogirl/20090107/1231396199

おおいに疲労した。けれども疲労のあまり、此の所のじぶん自身の方向性を見つめ直す好機にはなったかもしれない。誰もがそうであるように 日々変わりなく暮らしているようでも、外からの誘いを断らない、という程度には自分が社交的になる時期と、新しいことには目を向けない、未知のひととは交流しない、という程度には内に篭もる時期があり、近頃は 気が乗るにせよ乗らないにせよ とにかく会えるだけのひとに会い、会話をして、定まりきった視点をずらし、見たことのない自分を知るようなことを求めていたのだけれど、そういう気分というか気流のようなものは、ある瞬間を境に 潮の満ち引きのようにスーッとひいていく。

部長に案内された「餃子屋」は 東京タワーと三田キャンパスのすぐ傍にある。店が入っている傾きかけた雑居ビルの雰囲気は 小説の中でしか知らない「満州引き上げ」とか「闇市」とか、そういう時代を想起させる年代物で、キリンの小瓶にグラスではなく曇ったコップがついてくるところや、百貨店の食堂風のテーブルや椅子、周囲の席は ネクタイをゆるめたサラリーマンのグループがタバコの煙をもうもうと立ち昇らせているところなど、何もかもが 妙に馨しく時代錯誤を演出していて、なんだか自分たちも映写機のフィルムの中に居るようで、眩暈がするような空間だった。部長は部長らしく、というよりは 一昔前のひとらしく、餃子を頼むのでも、焼餃子、茹で餃子、水餃子スープ、とあるだけの種類を全て、一度に数人前も注文する。“若い女は葉っぱだとか豆だとか、決して太りそうもない食物しか食べない”と勘違いしている世間知らずなおじさんよりはまだ良いのかもしれないけれども、それでも 餃子を3人前も4人前も平らげるのは、女子高生の胃袋くらいなものであって、相対的には若いけれども絶対的にはもうとても若いとはいえないわたしたちの胃袋には、まるで分銅をひとつ、ふたつ、と詰め込まれてゆくように辛かった。餃子は美味しかったけれど、こういうものは少しずつ味わって食べるのがよい。その後は 田町の駅近くまで徒歩で移動して“慶應通り振興会”という商店街にある、隠れ家風のバーへ入る。ホテルのバーじゃない狭いバーに、6人もの大人数で入るのなんて、はじめてのことだ。「一杯だけ呑んで帰る」ということだったので、マティーニを頼んでクイっとひとくちに呑み干したら、「もう一杯お呑みよ」と二杯目を注文されてしまって参る。下戸のSM2ちゃんは、グレープフルーツジュースを飲みながら、二杯分のマティーニのオリーブを、前歯でカリカリとやっている。(50歳の上司では そもそもそんな心配は毛頭ないけど)もう男のひとに口説かれる必要もない今は、女同士で飲みにいくのがよい。マッチ棒のようなビルの最上階 ロッジのようなバーの窓からは、東京タワーの先端だけが見える。子供の頃、教室から見える赤い送電塔を 東京タワーだと思っていた。東京タワーは、大きくて高くて日本中どこからでも見えると思っていたから。バーを出て、ぞろぞろと田町の駅まで歩いて行って、わたしは同じ路線の部長と帰宅。部長は酔っ払っていないとしても、電車の中でも決して声のトーンを落とさないので、周りのお客さんに顰蹙を買わないだろうかと凄く気を遣う。SM2ちゃんは 別の仲間との飲み会に行くような振りをして、恋人との待ち合わせに向かっていった。そんなSM2ちゃんを見送りながら、ほかの4人は「まったく、呑めない癖に呑み好きなやつだ」と口々に言い、アハハと笑う。

家に帰り着いたときにはすでに、一週間分の毒素が余すところなく滲み出たような疲労を感じた。リビングの椅子に腰掛けて読書をしていたWRを尻目に、就寝。毛布も布団も、何もかもがよくずれ落ちる。