コンフィチュールの酸味

朝いちばんの上映目指して 映画館に行くつもりが、なまけ癖が抜けないのか起きられず。午後はWRもわたしもそれぞれ用事が入っていたので、週明けに持ち越すことにして諦める。ううう。

午後からはWRはバンドの練習、わたしは美容院へ行く。美容院は同じ街の中にあるので 徒歩5分と近いけれど、美容院に行く前にふと思い立って、原宿の某ショップにて、通勤用のレザーバッグを買ってきた。10分で出掛けて 10分で選んで 10分でまた戻る、ショッピングとはとても呼べない、まるでスーパーで長ネギでも買ってくるような買い物の仕方だと自分でも思うけど、ここのバッグを買うのは3つ目で、とても気に入っているので、きっと間違いはないはず。予約時間ちょうどに美容院に駆け込んで、洗ったり、切ったり、色をつけたり、また洗ったり、テルテルボウズのようないでたちで屈辱の2時間半を過ごす。出来上がりは、いつも通りの、変わり映えしない 内省的且つ時代錯誤な、似合っているかいないかももはや不明な惰性ヘアー。髪の毛から ヘアカラー剤の刺激臭を放ちながら、日が暮れた道を駆け足で帰る。家では、バンドメンバーとの軋轢(軋轢の原因は もちろん音楽性の違い)に直面したWRが、頭からすっぽりフトンを被って苦悩していた。どれだけ好きなことを、好き(趣味)の範疇でやっていても、それでも理不尽なことや辛いことが待ち構えている。人生はどうしたって思い通りにはいかないものだし、あまりにも奥深い。

嫌なことを忘れるために、ノリにノッた音楽でダイニングで踊りまくって、気を晴らしたあと、夕食をとりに近所のイタリアンへと赴く。ホワイトデーだし、ということで、実に一週間ぶりに一緒に食卓を囲む。ここのところ WRの仕事が多忙すぎて、朝食どころか夕食も、見事にバラバラだった。お食事の他に、仕事の合間に丸ビルで買ったという北野ホテルメイドのコンフィチュール詰め合わせもプレゼントしてくれた。そのままでも充分美味しいのだから パンには何もつけなくていい、とママンに言われて育ったわたしには、コンフィチュール(ジャムをお洒落な感じに言い表したもの)は 人生の半ばに唐突に登場した、(カロリー的にも時間的にも)究極の余剰の産物というか、この世のすべての知らなくてもよい豊かさの代表物のように思えて、そのどっしりとした瓶の重みに、なんというか、声もなく感嘆。今までジャムを買ってみようとかフレーバーごとに、ジャムとしての使い道以外の用途も色々と解説されていて、例えば フランボワーズはシャンパンに溶かしてカクテルに、とか、バナナ&ミルクはカキ氷のシロップに、とか、アップルはパイ生地に包んで焼けばアップルパイに、とか、コンフィチュールを駆使することで作ることができる偽物が そこには列挙されていて、豊かさと貧しさは表裏一体であるということを、まざまざと実感。コンフィチュールたちよありがとう。コンフィチュール 酸っぱいよ。