伸縮する、ただの何事も起こらない午後

お風呂場の換気扇も直ったし、除湿機も無事手に入ったし、もう一人のまるみちゃんも、無事 出雲に送り込んだ。それに、休日出勤もないし 上司の結婚式もないし 都会のデパートに買いにいくべきものも、書店で買うべき本も レコード屋で視聴すべき新譜もない。当分 髪を切る必要もない。夏服も、去年着たのが存分にある。久しぶりに訪れた、何もない休日というやつだ。

昼過ぎに起きて、WRと散歩に出る。部屋のなかで支度をしているあいだは気づかなかったけど、太陽が頭の真上にある午後1時、外は 夏のように暑い。施錠して家を2歩出てから、慌てて玄関に立てかけてある日傘を取りに戻った。

今日の散歩は 何の目的もない。鞄に本だけ詰め込んで、紆余曲折を経て 梅が丘に辿り着いた。梅が丘には、わたしが普段かなりお世話になっている上司と、WRの同僚夫婦、そしてわたしとWR両方にとっての大学サークルの先輩夫婦も住んでいる。そのうちの誰かには会えるだろうと思って此処にやって来たというのに、駅の周りを隈なく見回したけど、誰もいない。WRとふたりで「せっかく 来てあげたのに、出迎えもないなんて失礼じゃない?」と3組の知人たちにひとしきり憤慨したあと、あの美味しくて安い、梅が丘のランドマーク、美登利寿司本店へと赴く。そう云えば、いちばん最後に此処に来たのは、数年前のクリスマスイブ。友紀ちゃんとふたりで小雪舞うなか、行列のうしろにポツンと並んで入店を待った。わたしたちは 今なんかよりも もっと若くてもっと美女だったはずなのに、なんでわざわざイブに行列寿司を…。しかし、わたしはクリスマスに恋人と何処へ行ったとか何を食べたとか、そんなことはたちまち記憶の彼方に忘却してしまうのに、この日のクリスマスイブについては随分鮮明に憶えている。何の曇りもなく、心の底から楽しいクリスマスイブだった。

お寿司は 新鮮で大振りで、美味しかった。日本海サイドで育った為か、わたしは江戸前鮨の鄙びた粋みたいなものが全然わからない。やはり わたしがお寿司を食べたいときは、すなわち新鮮な魚が食べたいとき。のどぐろの握りも帆立の握りも、お料理の鮪の炙り焼きも、どれも大満足。今度は ともだちを誘って行こう!もっと沢山の種類の魚を食べたい。

お寿司をおなかに詰め込んだ後は、そのまま近くの珈琲屋に移動して、本を読む。なんという呑気なにちようびだろう。帰宅後は、ベッドで ねこやまるみちゃんと遊んでいるうちに、日が暮れるまで夕寝をする。今日は昼下がりの時間帯が、アスファルトに長く長く何処までも伸びていく人影みたいに、突出して 長く印象的だった。それでも、にちようびはすぐに終わる。だけどわたしはもう大人なので、またすぐに次のにちようびがやって来てしまうことを知っている。糸巻き機で巻き取られるような機械的な時間があり、同時に糸巻き機の回転のように、機械的に巻き取られていく時間がある。その規則性と歪みの間に落ち込んで、わたしは いつも たまらなく眠たくなってしまうのだ。ねこは、お寿司屋の板前さんの真似事をしていた。寿司屋の会計のとき、伝票を持ってくるタイミングが遅い、と店員を怒鳴り散らしている初老の男性客の真似事をしていた。こどもは こどものためにつくられたものには興味がなく、大人のためにつくられたものを 覗き見することが好きなのだ。