Trois Chambres

わたしが今のアパートに引っ越してきたのは、福岡から再上京してきたときだったから、今から4年前のことになるけれど、その頃 実家では母の乳癌の大手術と、長年 暗黙の事実ではあった父の浮気がついに顕在化した、という2つの事件が同時に起こり、それは、決定的なことというよりは、わたし自身がそれ以前からすでに抱えていた個人的な問題に追い討ちをかけるに過ぎないことであったような気はするけれど、しかし、ずっと実家で暮らしていた姉は、生死の境をさまよう母にも、かぞくを裏切りつづけた父にも、何ひとつの感情を見せず、じぶんの日常を保守していたし、東京で学生をしていた弟は、ちょうどその事件と同じタイミングで、資格浪人することが決定していたりなどして、とにかくその頃 家のなかに希望と呼べるものは何ひとつとしてなく、ふだん一声も啼いたことのない猫が、母を捜してはベッドのうえでニャアニャアと啼いて、そのとき わたしはまったくの孤独だったと言えた、けれど、じっさいのところ、その渦中にあるときは、孤独やつらさを認識する感覚をなくし、あたかも自分の内臓がすべて、錆色で鈍重で腐敗した別の物質に変わってしまったような、その身体をひきずりながら生きているような、鈍痛のような重みをやっと感じるだけだったので、あの頃いったいどういうふうに毎日を過ごしていたかは、まったく断片的な記憶しかなく、だからこそ、その頃のじぶんにとって、東京に戻って 学生時代のともだちに会ったり好きな音楽を聴きにいったり好きな街を出歩いたりすることは、「日常」を奪還する唯一の希望であると思われたし、それは一部では確かにその通りだったのだけれど、しかし ふたたび始まる東京暮らしのための部屋を決める時間の猶予は半日しかなく、その数日後には引越しで、その間 つまらない商業紙の原稿のしめきりまでもを抱えていたので、わたしは じぶんでも夜逃げと間違えそうになるほど、すべてが大慌ての 大洪水のようなスケジュールを強いられて、ついに今のアパートに荷物のすべてを運び終えて、部屋にひとり残されたとき、(座る場所さえなかったので)まだ手つかずの荷物の山の頂上に、ひとりちょこんと正座して、もう ひとり暮らしのための引越しなんか金輪際するものか、次に引越しするときは、殺伐としたひとり暮らしでも、しみったれた同棲でもなく、世の中に祝福されてまっとうに結婚するときだけにしよう、次に住むのは 都会の真ん中に立つぴかぴかのタワーマンションか、古いけど、何十部屋もある、庭が森のようなお屋敷で、わたしは毎日おうちにいられるただの可愛い奥さんで、荷物の整理なんてお手伝いさんに指示するだけで魔法のように片付いて、わたしはそれぞれの部屋にふさわしい家具をゆっくり誂えたり、毎朝玄関にお花を生けたり、ふかふかベッドでご本を読んだり、ビスケットを焼いたりできる、何の心配も要らない、あたらしい優雅な暮らしをはじめるの、と、心に強く誓ったので、トラックが通りを横切るだけで 部屋全体がグラリと揺れても、下の部屋の住人が変わって夜な夜なドラムンビーツの重低音を撒き散らしても、トイレのふたが破壊されても、ベランダで鳩がタマゴを産み育てても、口のうまい男の求婚にうっかり騙されそうになっても(騙されそうにはなるが、騙されはしない)、かたくなに 引越しをしないで、おなじ部屋に住み続けてきたわけだけど、ついに次の更新はしないで、あたらしい部屋に引っ越すことになったのです。


何の心配も要らない、あたらしい優雅な暮らしをはじめるの。


タワーマンションとお屋敷は、次の次の引越しにする。