読み返し

連休明けの火曜日。終日 ぐずぐずと体調がすぐれなかったので、残業しないで早目に帰宅。以前なら 本を読むかうたたねするかのどちらかしかなかった「ぽっかり空いた、ひとりの時間」だけれど、今はそんな時間こそ 引越しに向けた片付けをしなくてはいけない。しかしできない。できないくせに、気は焦るので、部屋にいる限りゆっくり本を開く気にはなれそうになく、だからこんな過渡期はほんとうに困る。

夜が真夜中になる前に、ひさしぶりに三軒茶屋方面へ夜の散歩に出掛けてみた。音楽を聴きながら歩くのにもっともふさわしいと思えるのが、こんな夜の、こんな道だ。東京に来てから、夜が好きになった。田舎の夜は、夜一面に 星がこぼれ落ちていて、夏でも冬でも空気が澄み渡っていて、虫や蛙や獣の鳴く声や、木がざわざわとそよぐ音ばかりが 人間のいない闇の中で響きあっていて、そういうものは街の中ではけっして手に入らない、恵まれたことなんだよ、ということを幾ら読んだり聞いたりしても、田舎の夜は、ただ だだっぴろいだけの、人間のいない孤独な場所で、わたしは毎夜毎夜が訪れるたび、淋しさできりきりと不安になって仕方なかった。だから 都会の狭い夜空も、タクシーのクラクションも、ミュールが夜道に響く音も、あの何もなさに比べたら、とてもよいと思える。

今読んでいる本

尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫)

尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫)

7回目か8回目の読み返し。自分が 自分以外のひとと共に暮らす、と幾ら想像しようとしても、同棲生活とか新婚生活とか呼ばれる言葉にそれは、どうしてもまるっきり結びつかない。自分が育った家庭の情景を重ね合わせることは、それより更に不可能だけれど。けれど唯一「わたしたちの生活は、こんなふうであるに違いない」とイメージできるのは、“第七官界彷徨”の町子らの、奇妙な共同生活(町子は、この生活を「変な家庭の一員として過ごした」と述べている)の情景だ。次の家がふるくて1Fであることも、畳の部屋があることも、物語のなかの家と同じと気づいて、今ではむしろそれがうれしい。