雲しか食べない

会社にいる時間は、凪のようなものだ。ちょっとしたおもしろいことや ちょっとした不快は 日々それなりに交互に規則性を持って訪れるけど、そういうものはからだの表面をすっと撫でて通り過ぎるだけで、わたしを組成するものを、劇的に変えるようなものではありえないので。10年や20年の生活上の経験よりも、一冊の文庫本のほうから付与されるもののほうが、比較にならないほど自分にとっては大きなもので、結局 自分はただそういうふうな人間なのだ。実生活と空想ということ。どちらがどちらの為に存在しようが、なんだか一向に構わない、此の頃いっそう、境界線が曖昧だ。

会社帰り WRと五反田で待ち合わせ。ちょうど前を通りかかったので 評判だというこの店で、雲呑麺を食べた。
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雲呑という食物は、名が体をあらわすとはまさにこのこととばかりに、じつにのんきでたのしそうだ。いくつかの雲呑が、色々な方向を向いて透明なスープに ぷかぷか浮いているすがたはこじんまりと愉快であり、つるつる ぴかぴかの光沢感と、雲のような 柔らかな球根のような ふわふわにぼやけたような感じ、その両方が同時に存在していることも不思議だ。なんて独特な食物なんだろう。おもしろくてたまらない。とくにこのお店の雲呑は、小鞠のような、繭のようなかたちをしていて、わたしはれんげで雲呑をすくいあげながら、半月だけ一緒に住んだ、ギンちゃんという白い仔猫の手のようだと思った。WRは「(美味しかったけど)雲呑は内臓にどすんと溜まる。僕はおなかがいっぱいになりすぎてしまった」というようなことを云っていたけど、わたしは この日 雲呑のことが大好きになった。

WRは 前日の飲み会疲れとのことで、なんだかクタリとしていて、山の手線の途中でさようならをする。帰って眠るまでのあいだに、何だか夢のように わたしの心理上で、色々な推移が起こったようだ。駅からまっすぐ家に帰って、ただ眠っただけなのだけど。とても若い友人から「あなたはどうしていつも************なのですか」という質問が届き、返信を書きながら、そのことについて考えたのだけど、とてもうまく答えられなかった。それは、わたしがかつていちども考えたことのなかった種類のことだった。考えないように避けてきたのか?わたしは何ひとつ、うまく言葉にすることができない。