内向人間のフジロック考

金曜日 夕方六時半、ああ 今週も働いた、そろそろPC閉じて帰ろうか、と思った丁度その時、友人からの携帯の着信に気がついた。

タイミング的に、てっきりわたしの仕事場近くにでもいるか何かで、終業の頃を見計らって飲みに行く誘いでもきたのだと思い、しかしその日わたしは また不動産屋に書類を提出に行く予定が入っていたので、せっかくの誘いだけれど断らなくては、金曜の夜だしこの暑さだし、恵比寿辺りで降りてほんとはビールでも飲みたいけどねー、などと考えながら、電話を掛け直してみると、相手は 携帯越しのこちらにまで響き渡る 機械的な轟音のなか「もしもし ピー ドゴドコ ギュイーン 今どのへんいるんすか ズシャン ドコー ああ、まじでここうるせー ズギュン ドガゴン‥‥聴こえてますか?今どのへんいるんすか」と、(あたりまえに会社にいるに決まっているのに)不躾に、わけのわからないことを尋ねてくるのである。

「わたし?今から会社出るとこだけど、そっちこそ何処にいるの」と尋ねると、「え?何処って苗場っすよ、フジロックですよ、つか雪さん会社って何すか なんで来てないんすかフジロック」などと、ほとんど玉音放送並みの野外の雑音の中、友人は答えるのであった。

え 今ってフジロックなんだ、そういうのはもっと世の中的に夏休みの八月だとか、連休だとか、そういう時期にやるもんだと思ってた、というか、金曜の六時半 白くて清潔な都会のオフィスで帰り支度をしながら、ささやかな週末の開放感に浸っていた自分と、電話の向こうで真夏の日差しと音楽と自由を謳歌しながら、わたしもフジロックの雑踏の何処かに紛れこんでいるに違いない、と疑わず、電話をかけてきた友人とのあいだのあまりの環境の隔たりと意識の格差に、息を呑む。

「ハ?なに フジロックって。今 フジロックのさいちゅう?ハハハ まさか、こっちは会社だよ。今日も一日中オフィスにいるよ。フジロックなんかやってないよ。ぜんぜんやってないよ。みんな仕事してるもん」

「えー 去年も来てたし てっきり来てるとばかり思ってたんすけど。フジロック今ですよ!ビールうまいすよ。ここは音うるさ過ぎるけど」

「だからフジロックなんてやってないって‥‥とにかく、まだ仕事中だから切るね。飲みの誘いかと思って掛け直したんだけど。どっちにしてもこれから予定入ってるし、無理だったんだけど」

「いやフジロック今やってますから‥‥。いやー、でも会社中すいませんでした。頑張ってガングリオンテノリオン?売りまくってやってください!また連絡するわ」

そうして雑音だらけの電話は突然切れて、束の間 わたしの居場所に飛び込んできた、大音響と草の匂いとビールの泡で満たされた 楽園との繋がりもプツリと途絶えた。白いオフィスの誰もいない階段の踊り場で、わたしは携帯をパタンと閉じる。

うーん。表面的な相違でしかないけれど、一年前と 今とでは、自分に可能なこと 不可能なことが、随分変わってしまったようだ。自分は 長いこと“人並みに、企業に属して暦通りに働けない(働こうとしない)”ようなことにコンプレックスを感じていたので、こんなふうに“つまらないサラリーマン”なってしまっている自分に悩んだりはしないのだけど、なんというか自分の尺度で「こうだ」と思い込んでいたものに対して、予想外の事実(ex.フジロック)を突きつけられると、がーん!となりんすね。

しかし 物心ついたときから(自分で楽器を演奏する以外の)音楽はすべて、ヘッドフォン(イヤホン)で聴くものと思ってきた自分には、音楽の解放感は、何処までも内に閉じこもっていてもいいということ、口を利かず 俯いたまま、繭のように自分の世界に耽溺して、そのなかでだけはすべてがわたしの自由になる、ということにあって、野外で ビールを飲んで、見知らぬひとと踊りながら自己を解放するような愉しみ方とは根本的に違うのだ、と思ったりもする。

それでも マイブラは やっぱり見たス