つぶ貝の哀しみ

睡眠はしっかりとっているのに眠い。朝も昼も夜も眠い。とにかく眠い。なにも自分だけではなく、此の頃 体調不良を訴えるひとはみな 睡眠不足でもないのに、ひたすらに「眠い、眠い」と口ずさんでいる。眠くなる、という症状を持ったウィルスでも流行しているのだろうか?プライベートを犠牲にしてひたすら眠りつづけ、養生に努めているというのに 「眠い」というだけで自己管理が悪いとか怠けているような自責にかられ、とても不当に感じる。眠いのはやくなおれ。

昨日は久しぶりに神楽坂のスペインバルに行ってきた。サングリアを飲んで、ムール貝シェリー酒蒸しと白イカのオイル煮とボイルしたつぶ貝とタラとジャガイモのコロッケを注文。何故メニューを書くのかというと、深夜、話し声がしたので目を覚ますと、WRが「今日は…ムール貝と…イカのやつと…」とスペインバルで頼んだものを声に出して数えていたのだ。間違えてムール貝を二回数えていたようであったが、眠すぎたので黙っていた。

つぶ貝は、耳に当てると潮騒が聴こえるタイプの小さな巻貝が10個くらい、殻ごと皿に載って登場したので、その(文明的な食卓には程遠い)ルックス的に、WRのテンションがガタ落ちしているのが見てとれた(同時に、巻貝にドン引きしている己に気づかれまいと、必死に平静を装おうとしているさまも、手にとるように見てとれた)わたしも局所的に繊細な部分は多々あれど、WRはまるで乙女のように繊細だ。かんたんに言うと“常人のセンスを逸脱した事象全般”に、とくに過敏な反応を見せる。

「スイーツがスイーツをわらう」‥‥この日飛び出した名言。

昨今の女がもっとも目の敵にしているのは「女らしさ」という概念であって、女の「厄介な部分」をもっとも厄介にするのは、この「女らしさ」という問題がどこまでも無自覚に侵食しているから、と思える。「女らしさ」をことさらに敵視するタイプの女は、例えば外見の女らしさを肯定しながら(肯定してもらいたがりながら)、内面の女らしさを否定(否定したがる、こき下ろす)等の自己矛盾にひどく鈍感であって、というか、むしろ 外面(=美しい、可愛い等という“自己評価”)と、内面(=男っぽい、群れない、毒舌だ、サバサバしている等の“自己評価”)のギャップに言及することで、結果的に女として都合の良い箇所(大抵は外面の部分)にどっぷりと依拠しようと目論んでいるものだ。
男っぽくて、人と群れ合わず、サバサバしていてちょっと毒舌なわたしなどに云わせると、女なんて、女について喋っているのだから、みんな ひとり残らず「女らしい」と言うのが当然だと思うんだけどね!

ジェンダー云々の時代でも何でもないが、今や 女が女を語りだす時点で、すでに袋小路に追い込まれ、自滅するしかないと、思う、ただし、女のほんとうの敵は、女ではなく、無論男でもなくて、いつの世も それは「馬鹿な男」でしかありえなかったのではなかろうか、とは思う。