睫毛の嘘のこと

睫毛というものは、別に「あったほうが可愛いから」という理由ではなく、目にゴミや埃が入るのを防ぐ為に生えているのだと聞いたことがあったのだけど、睫毛を失くしたことがないために、実際のところ どのくらいの頻度で目に侵入する異物をブロックしてくれているのかは、見当もつかない。見当もつかないので、無責任にこんなことを言うなんて睫毛の心情を思うととても悪い気はするけど、もっとも頻繁に目の中に混入し、且つ その都度もっとも過激な痛みを伴うものが、当の睫毛ではないか、と思えてならない。お前じゃないか、と 云いたい。

この場合の睫毛自身について、ミイラ取りがミイラになる(この場合のミイラ取りは睫毛)、とか 医者の不養生(この場合の医者は睫毛)、とか 河童の川流れ(この場合の河童は睫毛)、とか こういう言い方のぜんぶに近くて、だけどぜんぶ何かが少しずつ違う、もっともっと睫毛自身について的確に言い当てた表現がある、と、何か漠然とした感情を抱えているのだけど、それがどうしても見つからない。ちょうど手鏡を必死で覗き込んで指先でつかもうとするのに 触れば触るほど眼球の奥へ入っていく抜けた睫毛のようにもどかしい。

昨日はしごとがひまだったので、定時の鐘と同時に脱兎のごとく会社を飛び出し、原宿へと降り立つ。着ていく服がない!とパニックに陥り、泣きながら コンサバティブな衣服を求めてさまよい歩く。わたしは、どうやら年に三度は「まともな服がなくて、タイムリミット迫るなか 泣きながら街へ繰り出して、店から店へと歩き回る」という行為に駆り立てられる運命になっているようだ。最近では、今の会社に転職する前日、社会人風の服を求めてまったく同じ軌跡を描いた。実際は、クローゼットの中には(コンサバ服ではないけれど)お出掛け用の、高い 高い高い高いワンピースが、晴れの日を待って眠っているのだけれど、それらは何故かぜんぶ高級な下着そっくりで「正気か」というほど露出が激しく、痩せていて 背中も白くてつるつるの時でないと着られないので、兎にも角にも 端からまともな場所に着て行くべきものではないのだ。結局 目的に適ったワンピース(エビ風)はわたしが訪ねた店には一着も売っていなかったし、エビ風どころか、まともに線対称に縫製されたワンピースさえ見つけるのが困難だった。見るもの見るもの非対称。探す努力だけはとりあえずしたので、そういう服はきっとこの世には売っていないのだ、と納得することにして、喪服のようなギャルソンの黒いワンピースをそそくさと購入。いつもの如く、目的の衣服は買えなかったけれど、「‥喪服にもなりそうだし」等と自分に言い聞かせ、お茶を濁した。

「吃音学院」小島信夫
本を読むどころでない此の頃のわたしがようやく読めた本。WRがだいすきな小島信夫を 借りて読んだ。

“細かすぎて伝わらない心の機微”の筆致力に敬服する。わたしもさながら「吃音学院」並みのマニアックな共同体で生活した「ある一時期」があったりするので、こういう特殊な閉鎖世界の物語には 並々ならぬシンパシーをおぼえる。才能に嫉妬。

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)

殉教・微笑 (講談社文芸文庫)