電車は行く

家を出る前、ニュース速報で「山の手線 人身事故の為 現在外回り運転見合わせ」というテロップが出たので、即座に自分の通勤経路に組み込まれた路線が果たしてどちら回りであるのかを考えたのだけど、まったくわからなくて途方に暮れた。わたしは東西南北の空間認識だとか、速度や気温の平均値や、何泊だと何枚パンツが必要か、といった実務にとことん弱いので、電車の乗り換えなども 経験による身勝手なフィーリングで乗降しているに過ぎないわけで、こんな朝、唐突に「外回りが停止」と云われると、狼狽してしまう。とうぜん「山の手線 内回り 外回り」で検索もしてみたのだけど、どのサイトを見ても、まず わたしのようにわからないひとが、自分の狼狽を訴えているばかり(ex.教えてgoogoo)で、その声を聞いたわかるひとが、わからないひとには絶対にわからない、ということがわからないわたしにはよくわかる説明の仕方で説明している、という構図が散見されただけだった。

しかし、たしかにわたしは空間認識不能者ではあるのだけど、「内回り・外回り」をわたしが理解できない理由は、そもそも「山の手線が環状線であるという実感」を生活上でまったく必要としなかったからだとふと気がついた。


ちなみに、自分の中でのエモーショナルな山の手線認識は、新宿を基点とした以下の図になる。

恵比寿 渋谷 原宿 代々木 ← 新宿 → 新大久保 高田馬場 目白 池袋
(上り) 好き おシャレ たのしい ←ふつう→ つまらない ダサい 嫌い (下り)

会社の自分がいるフロアの、四車線の道路を挟んだ真向かいで、ビルの建設工事をやっている。そこで働くひとがすごい。ゆうに地上40mの高さの、人間の幅ほどしかないかよわい足場の上で(誰がどう見ても法令違反なのだが)ヘルメットもかぶらず、命綱も装着しないで(*本来 命綱に結合すべき腰ベルトを、こんなもの邪魔だと言わんばかりに、尻尾のようにぶらんと垂らしている)、鉄の棒や畳半分ほどもある鉄板を抱えて、小走りで右往左往し続けているのだ。死にもっとも近接した、じつに驚くべき光景。これこそ余計なお世話というものだけれど、ああいうものは、ほんとうに、見ているこちらの心臓に悪い。

だって、ほんとうのほんとうのほんとうに、地上40mの天空で、両手に鉄板を抱えて 50cmも無さそうに見える足場の上を、丸腰の青年が疾走しているのだ。白昼の悪夢なのか。海馬が壊れているのか。しかし 先だってのマンホール事故の報道でも感じたことだけど、空調が保たれたビルの中で働く大多数の人間にはなかなか想像が及ばないような極端な場所で働くひとたちがいて、はじめて世が成り立っているんだから「ありえない」と思考停止するのは愚の骨頂というものだ(ノーヘル、ノー命綱は、ありえないけど)。適材適所、できることとできないことをそれぞれが補いあって、人類は発展を遂げてきたのだなぁ、まぁだけど、もし今地震が起こったら、絶対このひと死ぬよなぁ、と思いながら、足場を駆け回る青年を眺めていたら、震度3の地震がきた。自分の会社は、キャーだのこわいだの大騒ぎであったのに(仕事中なのにテレビがついたのに)、工事のひとたちは、地震にさえもまったく気がつく様子がない。いったいどうなっているんだ。

引越しの準備がまったく進んでいない。もうダメかもしれない。「地獄の黙示録」の最終が今日で、夏と言えば映画館だし戦争だし、是非とも観にいくべきなんだけど、そもそも定時で出ても開始時間に間に合わないうえ、体調不良で見送った先週に続いて今回は“引越しの準備がまったくできていない”という方面で、またしても セルフ地獄の黙示録で、映画に行けない。