あきやすみ記◆2

写真はあとで沢山貼ります

【2日目】

朝 目を覚ますと、大雨と言っていいほどの雨の降り方。出雲大社宍道湖など、景色の佳い場所を周ろうと考えていたので、がっかりする。WRは眠そうで辛そう。ホテルの朝食はパスして、母に迎えに来てもらい、実家で朝食を食べる。猫を撫でる。WRと二階の自室へ上がり、眠っている本やCDを物色。僻地(しかもアウェー)においてもWRチェックは抜かりなく、過去の恥ずかしい本などもちらほらと散見される中、東京の家の蔵書にはない白水Uブックスや絶版文庫などを中心に、持ち帰り用にすばやく査定。東京の本棚と重複して所有していたり、どうして身近に置いていないのか不思議に思うような良い本がとても多かった(と、自画自賛)。というか、この十年くらい、自分の芸術文化全般に関するセンスはまったく変わっていないことが判明。その後 過去のアルバムを見せる・見せないで意見が対立し、WRと取っ組み合いの喧嘩をする(隣の部屋で寝ていた姉は、誰もいないはずの隣室から キャッキャ!キャッキャ!という戯れ声が木霊してきたので、部屋から出られず戦慄していたという)

午前は 雨が降り止みそうにないので、父母と4人で足立美術館(*1)までドライブ。雨に濡れる庭園(苔の緑色や 刈り込んだ植木のまるさがサイケデリックで面白い)を「ほほぅ」と眺め、横山大観水墨画北大路魯山人河井寛次郎の器など、日本美術を鑑賞。いくら大観と言われても、美術に心得のない我々には まだ日本画の良さはよくわからない。しかし 寛次郎の器はとても良かった。今流行りの北欧食器などまったく目ではないくらい、鮮やかながらも絶妙にくすんだ色調の黄色や赤がナイスに冴え渡り、単純なフォルムもとても洗練されている。庭園にしろ、器にしろ、やはりまるさのおもしろさばかりに惹き付けられる。若者(WRとわたし)を引率できて浮かれている父親がはしゃいでうるさい。お腹も空いてきたので、昼食を目指して美術館を後にする。

車で松江に移動し、皆美館(*2)で鯛茶漬けを食べる。ここの鯛茶漬けは、鯛の身がそぼろ状にきれいにほぐしてあるので、魚の生臭さがなくてとても食べやすい。お給仕も着物で、日本庭園も望めるとても雰囲気の良い食事処だったけれども、WRとふたり 待ち合いにあった「PRESIDENT」の“カラオケ接待必勝テク”という記事を貪り読み、「うげー」「ハハハ 最悪すぎる世界だ」などと下衆なことを語り合った。

結局 午後になっても天気は思わしくない。宍道湖の周りをぐるりと回り、通り道にあった「松江フォーゲルパーク(*3)」になんとなく立ち寄る。入り口の無料ゾーンには、たくさんのガラス囲いの鳥の部屋があって、十数種類のフクロウがいた。フクロウは 意外に 見ていて飽きない。WRは、なぜか 此処のフクロウ・ゾーンに限ってはカメラに固執し、すべての鳥部屋のすべてのフクロウを黙々と写真に収めていた(母も「あら WRくん まだ撮ってる」と言っていた)
フクロウは何を考えているかさっぱりわからないけれど、背後から「きぜん」という効果音が鳴り響いてくるような錯覚に襲われるほど、得体の知れない毅然とした雰囲気を振りまいていた。ねこが好きなひとは、フクロウのこともきっと好きになる。
フクロウがあまりにもおもしろかったので、うっかりチケットを購入し、有料ゾーンの鳥パークの領域にも足を踏み入れてしまった。有料ゾーンには フクロウはいなかったけれども、無謀にも謎の鳥数種が放し飼いになっていて、地味ながらも滅法こわい。異形のペンギン、熱帯の鮮やかな鳥、などが人工的な楽園をフリーダムに徘徊している。雨で行き場を失くして仕方無く来た修学旅行生とわれわれ以外 他の客は誰もいなかったけど、巨大な鳥や喋る鳥や一般的な鳥、整然と行進する鳥の群れまで沢山の鳥を見ることができて良かった。最後に、池に浮かぶ水鳥(白鳥、黒鳥、カルガモ、アヒル等)にエサを巻くと、WRとわたしの周りに沢山の飢えた水鳥が集まってきて、束の間の人気者気分も味わい、パークを満喫。

雨に降られながらも室内施設を精力的に訪れて、疲れ果ててホテルに帰着。夜はまだ 両親と祖母、姉を交えた会食が待っている。WRの疲れはいかばかりであろうか、とそればかり気になって仕方ない。他人の実家なんて、よほど快活な奴や神経が図太い奴でない限り、疲労する以外することがないのだ(わたしは、たとえ他人の実家であれ、爆発的な順応力を見せ、図々しいほどリラックスするタイプのひともとても好きだけど)

というわけで、夜はおすし屋で食事。こどもの頃から、親に連れられてよく来たお店。この日も日本海のお刺身や 大きなのどぐろの焼き物など、美味しい食材を沢山出してくれた。父は WRが来てくれて、とても嬉しそう。ずっと上機嫌だし、土地のことや自分の仕事のことを説明したくて一生懸命だ。父が嬉しそうなことは良かったし、それはぜんぶWRの存在のお陰だ。それでもわたしは父が嫌いだと思う。父が死ぬまで嫌いだし、死んでからも何も変わらず嫌いだと思う。人間として好きになれる部分がない。季節が巡り 時が経ち 親のことを 客観視できるようになればなるほど、その思いが強くなる。

(*1) http://www.adachi-museum.or.jp/ja/index.html
(*2 ) http://www.minami-g.co.jp/minamikan/
(*3) http://www.vogel.jp/