倒産・雨

母からの電話で、知人の会社の倒産を知る。幼い頃から 家族ぐるみで とても親しくしていた一家のひとつであったので、わたしにとっても ひどくショック。倒産が世の中に知れたその日の午後には、十何台ものトラックが会社や店舗や倉庫の前にずらりと並んで、ものの1時間ほどで すべての商品を引き上げてしまったのだという。他人事でなく、とてもこわい。商売のおうちは、会社が倒産すると 職を失うだけでなく、家や土地まで同時に失うので。知人一家が所有していた、大きな庭と大きな家に わたしも何度も遊びに行ったものだけれど、あの豊かさと、殺伐とした「差し押さえ」という言葉の響きが、どうしても結びつかない。

WRは 職場の飲み会で遅い帰り。こういうひとりの夜がふと訪れると、はて ひとり暮らしだった頃 わたしは毎晩どうやって過ごしていたんだっけ、と疑問に思うけれど、同じ日はひとつとしてないということだろうか?思い出せない。

自分がひとりで過ごせないひとでないことは わかりすぎるほどわかっているけど、ふたり暮らしを始めてみてわかったのは、ひとりで暮らすための家でひとりでいるのと、ふたりで暮らすための家にひとりでいるのは、まるっきり違うということだ。ふたり暮らしの世界では、ひとりでいることと 待っていることが、限りなく似ている。林芙美子のつづきを読んだり、ねこ人形で遊んだりするのだけれど、何をしても どうもそわそわと落ち着かない。夜が更ければ更けるほど 屋根を叩く雨粒の音が大きくなるので、WRはちゃんと傘を持って行っただろうか、と 頭の隅っこでずっと気にしつづけている。