感情を理性が眺める

朝が来てもどこまでも堕ちてふさぎこんでいく気分は持ち直さない。ここで日常生活を中断すれば、立派な鬱ということになるのだろうか。それでもいつもの時間に起きて、WRと朝の挨拶を交わし、早い時間の通勤電車に乗る。すべてはあたりまえのこと。自分を侵食してくる沈殿物の正体が何かということも、ちゃんとわかっている(その問題は 分析するにはあまりにも興味深い事柄なのに、あまりに深刻かつプライベートな領域すぎて日記に書けないことが、残念でならない)

しかしさすがにこの日は定時で帰宅。17:45きっかりに帰り支度をして会社をあとにしたので40歳の、ひとは良いけど、なんというか何事にも間が良いとは言えない先輩に「デート?いいね!」などと まんまと呑気に声を掛けられたけれど、単に気分が悪いだけだ。わたしも余計なことを言わなければいいのに「いや、そうだといいんですけど、悲しいことに体調が悪いだけなんです」と告白すると、今度はたたみかけるように「え!まさか、オメデタとか‥?」とくる。天に誓ってありえません。というわけで「ないですないです、はっはっは」と道化を取り繕いながら、足早に会社を去った。良いひとだけどろくでもない この40歳の先輩とも、とりあえず3日間は会わなくて済む。3連休がうれしい。

WRは今夜も会社の飲み会。前日まったく眠れなかったから、少しは横になろうと思うのだけど、やはりとても眠れない。昨夜買いたての本をひらく。本の中の他人に、まったくコミットできない。やはりおかしいのだ。生理がきて、何もかもが空虚で鈍重に感じられる。同時に、ふさぎこみの理由は単に月例のホルモンバランスの具合だったのだろうか、と考えて、少し安堵したのだけれど、しかしそうとわかっても問題は問題として依然わたしを蝕んでくるので、実際は何も関係ないのだ。精神的に かつてない危機に陥っている。WRはまだ帰らない。生理の初日に鎮痛剤の在庫が切れてはたまらないので、また月の下を散歩して、向こう岸の薬局(深夜1時までやっている)に薬を買いに出掛けた。今想うことは、今言葉にすべきだろうのに、それを伝える相手がいない。想い遅れ、言い遅れた言葉は、鳩尾の下のほうで滞っている澱みにまぎれて、二度と取り出せないものか。

家に戻ると、WRが帰宅していた。遅い帰宅を詫びてくれる。彼は眠る。わたしはそれでもすぐには眠れない。大声で泣いたり喚いたり、感情の起伏をそういうふうに表現できるひとであるなら楽なのだろうか。死にたい、だとか明確な意志は更々持てず持ちたくもなく、しかし身体も心もぜんぶ邪魔で、跡形もなく消滅できたら、と思う。そしていつの間にかほんの少しの眠りについて、また朝を迎えてしまう。このごろは夜がとてもひどい。