悪い空想

朝、IDEEで先週選んだダイニングテーブルが届く。130×80のサイズは、お店で見たときは素晴らしくちょうど良い大きさに思われたけど、実際 うちの狭いリビング兼ダイニングに据え置くと、あまりにも巨大だった。WRとふたり、その巨大さに内心おののく。しかし、気を取り直して新聞を広げて読んでみたり、珈琲を入れてみたりすると、どっしりとしたテーブルはやはりとても使い心地が良いものだと思う。

連日の寝不足で、頭がふらふらする。昼から夕方近くまで、ひとりベッドに潜伏して眠ってしまった。午後にシャワーを浴びて、WRと近所に散歩に出掛けた。秋だ。去年の秋に一緒に過ごした友達は、何処へ行ってしまったのだろうか、と歩きながらふと考えた。そしてそれはWRも同じではないかしら。去年の11月からの日数は、何もかも一緒で、(わたしが知りうる出来事の限りは)隈なく思い出せるんだけど。10月までのことは知らない。眼前に確かに存在するものを見ようとせず、なんだかわざと過去のわからないことばかりを想像して(こういう悪い空想を妄想と云う)、不安がることばかりを欲しているようだ。わたしは慣れることが嫌だ。感受性を既視感が妨げるのが嫌。使い回しの言葉も想像も嫌。知っている道も、いつもはじめて通る道だと思って歩きたい。ドーナツ屋で、WRと久しぶりに本を読む。本を読むことや絵を観ることを、インプットだとか言うひとがいるけど、わたしは何を見ても自分の中の欠落感に気づかされるばかり。何か与えられるものがあるとしても、それは自分のなかに既に開いている穴を、ブラックホールのように広げるばかりだ。だから本を読む。インプットとか、アウトプットとか、そういうことって、全然良くわからない。

近所にあたらしくできた珈琲屋で、WRMの誕生日プレゼントの豆を選んだ。1日遅れのプレゼント選び。名古屋に届くのは2日遅れになってしまう。家に帰って、ねこのカードにWRと一緒にメッセージを書いた。近所のひとしか行かないラーメン屋で夕食を食べ、コンビニでWRがプレゼントの包みを送って、土曜日は終わり。また夜が来て、わたしは眠れない。ここ数日で、真夜中の散歩が癖になった。闇がとても深く、疲労がとれない。しかしWRは 真夜中に目を醒ますと、わたしはちゃんと隣で熟睡していた、と言う。どちらも多分ほんとうで、夜が並列している。世の中のすべてを憎んでいるわけでも何でもないけど、わたしが好きで大事にできるのはこのひとだけ。

読んだ本