やめたやめたやめた

寝不足のまま早起き。冷凍のベーグルを解凍して朝食にして、朝いちばんの早稲田松竹へ。「ダージリン急行」と「最高の人生の見つけ方(この邦題はあまりにも、あまりにもという感じ。内容は良かったけれど、2本立てでなければこの邦題のせいで絶対見なかったと思う)」を鑑賞。
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どこまでも深く芸術的に解釈できる映画であっても、わたしは映画は映画である以上教養ではなく(より良い)時間潰しの娯楽でしかない、と思っているので、画面がお洒落で見やすくて、ちょっと笑ってちょっと胸に刺さるような、こういう映画を観ることが、自分にとってのほんとうの映画の楽しみだと思える(個人的に感情が狂っている時季なので、映画の出来とはまったく無関係な部分で理不尽に感情が揺さぶられて途中気分が悪くなったりしたけど。自分の女性性みたいなものが露わになっていて、つくづく嫌になる。街でもひとでもなく、黙っていてもいちばん騒がしいものが自分の中で騒いでいて、それを分析するみたいにひとり難しい顔をしている自分も醜くて嫌で、とにかくこの騒がしいものを抽出して、早いところ葬り去ってしまいたい)

そのまま新横浜へ移動して、本棚を買う。またIKEAに来た。過去の幾つかの休日をパズルのように組み合わせたような日だ。WRはこの秋最初のコートを着ていた。買うと決めていた本棚のほかに キッチンで使う食器棚のようなものを探したけれど、良いと思えるものは見つからなかった。店内をぐるりと一回りして、子供用品売り場のねこ人形コーナーを覗く。うちにいるのと同じねこたちが、ワゴンの中にギュウギュウとひしめき合って売れ残っていた。WRと一緒に、詰まったねこをひとつずつ取り出して顔を確認するのだけど、どのねこも顔がへしゃげていたり しもぶくれていたりで、おそるべき不細工顔なので、我ながら非情とは思うけれど、誰にも連れて帰ってもらえないことにも納得せざるをえない。うちにいるねこ(人形)たちは ほんとうに 可愛い!ご満悦でエリアを後にする。あの売れ残った無数のねこらは いったいどんな末路を辿るのだろうか。

夜は家でおとなしく過ごした。疲れているとはいえ、やはりわたしは眠れない。思いあまって助言者に相談してみると「この際 生牡蠣の養殖にでも手を染めてみるのはいかが」とお勧めされた。こういうときこそ、眠れない悩みなど瞬時に吹き飛ばすほどの手にあまる問題(例えば 赤潮が出て参る、とか)に取り組むべきなのだと云う。漁業なら 2匹のねこも狂喜乱舞だ。暗澹たる夜の打破策としてはさいこうなんだけど、どこまでも行き届いた助言者の忠告通り 長い髪が巻き上げクレーンに絡まってどうにかなりそうだし、だいいち わたしは銚子とかに全然住みたくない。

眠れないなら眠くなるまで起きていればいいじゃない、って、自分だって思う(“明日の昼間眠くなること”なんてこの際まったくどうでもいい)けれど、眠れない原因、苦痛の種を自分で知っている以上、眠くなるのを安穏と待ってはいられないのだ。内包されているその苦痛は、幸か不幸か非常に慎み深く謙虚な性質であるらしく、わたしが一日の用事を無事終えて 動くべきこと、考えるべきことが終了した瞬間を境に動きだすことになっているのだ。眠りの前を見計らって訪ねてくるから、眠れなくなるのも当然という話。睡眠薬を飲む、という選択もある、けれどこんなときの睡眠薬には、熱冷ましを用いるときと同じような虚しさがある。わたしは 虚しさのせいで眠れないのに。‥‥でもまぁこんなことを思うのは もうやめる。ひとには思い癖がある。経験則から、自分の幸福の上限を決めてしまう癖のこと。掛け値なしの愛情があるということをわたしが信じていたとしても、誰に咎められることもないのだ。

この日聴いた音楽

フジファブリック

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