やけど

3連休さいごの日。夜は相変わらず眠れず、陽の出ている時間に睡魔がやってくる。理不尽。同じ家のなかにいながら、ここ最近、WRとはずっとリズムがずれっぱなし。たくさんのことを、申し訳なく思う。

夕方やっと家を出て、新宿の街へ。服屋で靴下を買ってから、三越に入っているジュンク堂へ。最近 本屋と来たら、ここばかり。WRの家が神楽坂にあった頃は、丸の内や神保町や池袋によく本を買いに行っていたけれど。新宿のジュンク堂は、本屋として飛びぬけた個性は何も無いけど、日常的に読むのに必要な程度の新しい本は大方揃っている。ニュートラル、という言葉がぴったりな場所。一点 難を挙げると、雑誌があまり良くない。(会社に雑誌がありすぎるせいもあり)もう何処の書店に行っても雑誌の棚はまったく見なくなってしまったけれど、この日はたまたま平積みしてあった女子中高生用のファッション情報誌を手にとってみて、ちょっと驚いた。高校生ならまだしも、中学生にも学校に化粧(それも大人と同じフルメイク)をしていくことを奨励している。お化粧に目覚めて「可愛くなった中学生」という女の子たちが 写真つきでぞろぞろ揃い踏みして各自の体験談を語るのだけど、どれもこれも「中学1年の夏までは部活のバスケばかりやってるダサい子だったけど、化粧をはじめてからは部活も辞めて遊ぶ場所も変わって毎日が楽しくなった!」とか、そんなのばっかり。ひとの親ではないわたしでも、心底がっかりするような特集だ。それもこれも、消費者のニーズに応えているに過ぎないのだろうけど、雑誌をつくる側の大人の良識という最後の一線の部分がとうに崩壊しているマーケティングの世界には、当然ながらついていけない。こういうのも、つまらない大人の意見ということだろうか。わたしもヴィトンの旅行鞄で中2の修学旅行に赴いて、担任に叱られたものだけど、当時 化粧をしようとかしたいとか考えたこともまるでなくって、せいぜい眉毛を揃えてリップクリーム塗るくらいのことだったよ。大人みたいな中学生が増えたというより、雑誌や電車の中ではOLかキャバクラみたいな中学生が増殖しているようにしか見えなくて、これはもはや末法の世だ。

本を買って、外でかんたんに食事を済ませて帰宅。なつやすみもあきやすみも3連休も土曜と日曜も 休みの国の閉演時間は いつもとても早い。琺瑯の薬缶でお湯を沸かして珈琲を淹れたとき、熱くなった琺瑯の淵に右手が触れて、てのひらをジュッとやけどした。今、てのひら側の小指のつけねの下のところが、ひどい水脹れになっている。ちょうど むかし校庭の花壇で見たことのある大きなダンゴムシが、表皮のあいだにじっと埋まっているようなかたちをしている。

朝 そのダンゴムシの右手を眺めつつ「ちょっと薬缶に触れただけでこんなやけどになるとしたら、火事でやけどを負ったひとの皮膚は、いったいどんなことになるんだろう?」とWRに云うと「君 それ きのうも同じこといってたよ」と云われてしまった。でも、治るまでは何度眺めても、その度に同じことを思う。

この日買った本・聴いた音楽

シモーヌ・ヴェイユ入門 (平凡社ライブラリー)

シモーヌ・ヴェイユ入門 (平凡社ライブラリー)

死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い (平凡社新書)

死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い (平凡社新書)

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

ヒーザン・ケミストリー

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