風景が殺す

一週間の真ん中。仕事終わり WRと待ち合わせをして、品川から高輪を通り抜けて五反田まで。夜の短い散歩に出た。

品川の辺りは、何度歩いても身体に馴染むものがない。この違和感は 単によそよそしく感じるようなこととは違って、わたしの中の根幹が この場所を決定的に相容れないものとして拒絶しているような、もっと明確で意思的なもの。

それでも駅の近くのショッピングビルやプリンスホテルが建っている駅の周辺には、私立の女子大や教会があり、人間の体温や日常が息づいていることがわかるのだけれど、さらに駅から離れて 国道1号線に貫かれている、高輪台の駅の辺りに入ってゆくと、殺伐とした世界が広がる。まだ新しく高級そうなのに 窓の灯りがまったく点いていない縦長の高層マンションがずらり、と連なっているばかりで、舗道を歩いているひとは、ほんのわずか。どこまでも荒涼として、人心地がしない。無機質ではあるけど、未来的な雰囲気もない、緩慢な狂気が漂っている。ノーフューチャー、としか形容できない。この辺りのマンションは、買うにしても借りるにしても、すごく高価なのには違いないけど、この場所で暮らしたいと思うひとが、立ち並ぶマンションの部屋の数だけ存在するという事実が不思議だった。

「身の毛もよだつような磁場」「まじで命を落とす寸前」「家にかえりたい」と WRとふたり弱音を吐きつつ、足枷をひきずる囚人の足取りで国道の舗道を歩いていく。この道は、通り抜けただけで病気になるひとがいても、全然おかしくない。殺風景とは ひとを殺しかねない風景のことだったのか、と わたしは身を持って思い知った。

坂を下っていったところで唐突に視界が明るくひらけて、雑然とした五反田の街が現れた。ガード下の奇妙な店で、オムライスを食べて帰る。帰宅してもまだ22時前だったのに、殺風景は想像以上に人間を消耗させるのだろうか。二人とも 本を読みながら、部屋の灯りも消さないで眠ってしまった。


CREATION

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