秋刀魚を落とす

仕事上におけるわたしはいつもとても平和で単調。週末は外出が多く、家でゆっくり料理をするどころか、食事時に家を空けていることばかりなので、せめて平日くらいは、とこの日も家で夕食をつくる。茄子と挽肉を炒めたのと、秋刀魚を焼く。かんたん。金曜は WRも早めに帰って来た。夕飯の支度をしている途中。WRは 家事は女の仕事、とは全然思っていないので、出来ることは何でも協力してくれるけれども、わたしは(こういうのは会社の仕事でも家事でも同じだけど)自分がやるつもりで手を出したことに、途中から手を出されることが得意じゃない。なので、良かれと思って、炊きあがったご飯をよそってくれたり、お皿をテーブルに並べてくれたり、たとえ手助けになることだとしても、自分が頭の中で組み立てている順序が狂うと、急かされているような気がして軽いパニックを起こしてしまう。不完全な完璧主義というか、そういうところで大らかさが無いのだ。

こういうのはむかしから変わらない悪いところで、そういえばピアノの先生や塾の先生や部活の先輩とか医者だとか、何かを教えてくれたり助言してくれる相手にも、自分なりに「良い」と思って編み出したやり方に手を出されたと感じるとき、わたしは悉く反発したり対立してきた。この夜もそう。わたしはわたしなりに、WRが帰ってくるまでに夕飯の支度もまな板やボウルを洗うのも、ぜんぶきれいに済ませておきたい、という考えがあって、なのにそうできなかったことでいらいらしている。それで、ご飯ももう茶碗にほかほかとよそってあるのに、魚焼きグリルの秋刀魚がまだ焼けないから、焦ってグリルを開けて秋刀魚をトングで掴んで裏返したら、まだ焼けていない片面がつるつるのままの秋刀魚がすべって、床に落ちた。

こんなに頑張ってるのに!仕事を終えた金曜日の夜 遊びにも行かず家でごはんを作ってるのに!2本しかない秋刀魚が床に落ちた!もう完全にパニックで、身が崩れて半分に折れた秋刀魚を拾って、わあわあ泣いた。WRは 秋刀魚を拾って泣いているわたしをなだめながらも(自分だって手伝ってるのに…)と思っている。床はいつもぴかぴかに磨いてあるので、秋刀魚を落としても汚くないし最後まで火を通せば食べられる。わたしは、家の床に落とした食材を食べることなんて、まるっきりへいきな性質なのだ。それなのに、金曜の夜の夕餉の支度中に 焼いている秋刀魚を落とすことは、とても悲しい。これ以上悲しいことは考えられないくらいに悲しい。さめざめと泣いて、半分に折れた秋刀魚をWRと「自分が食べる」と奪い取って、夕食にした。満腹になると、ようやく悲しさが萎んで消えたので、WRに「ごめんね」と謝って珈琲を飲んだ。明日からの土日も予定が詰まって忙しい。