ひとつの街

土曜日。早稲田松竹のヴィム・ベンダース特集が今週もやっているので、観に出かけると決めているWRと一緒に 朝いちばんに出かけるつもりであったのが、眠すぎるのと長すぎる(2本立てで通しでみると、5時間以上かかる)のとで、わたしは断念。代わりに昼から美容院に行った。カットとカラーで3時間半。アフロでも金髪でもない、何の変哲もないふつうの頭なのに、なんで毎回こんなに時間がかかるのだろう。しかも、シャンプー台やカラーの待ち人用の椅子に 美容院にいる間中 あちこち移動させられるので、本も読めない。紙だけは異常にサラサラと美しくなりながらも、疲弊しきって帰った。しかし、この頃前髪だけは カット料金がいつも行っている美容院の4分の1で済む 別の美容院に行っているのだけど、そのこともあっという間にバレてしまった。というか「自分で切ったでしょ?わかるよ」と言われたので、「時間なかったので、キッチン鋏で切ったんです、ははは」とお茶を濁してしまったのだけど、500円で切ってくれた別の美容師の立場が気になった。

確かに、たかが前髪を眉のところでまっすぐ切りそろえるだけなのに、2000円とれる美容師と 500円しかとれず、しかも「素人が切った」と思われてしまう美容師は存在する。わたしだって、500円で前髪を切ってくれた美容師に、たとえ4分の1の値段で済んでも、後ろ髪まで切ってほしいとはゆめゆめ思わないし、カラーなんか危なっかしくてぜったいに入れてもらいたくない。その2つの美容院は 目と鼻の先ほどの距離しか離れていないのに、美容師の技術もセンスも、お客に対する自信も雲泥の差だ。500円前髪の美容師さんは、お洒落をして可愛らしいひとだったけど、前髪に関してテキパキと要望を伝えるわたしに、なんだか怯えていたようだ。いつもの美容師(モデルや女優の髪も切ってる有名なひと。だから良い、というわけではないんだけど)は、わたしが要望を伝える前に、自分が次にしたい、と考えている方向性をわたしに伝える。わたしはそれでお任せする場合もあれば、そうはしたくない、と 自分なりの要求を出す場合もあるのだけど、どちらにしても、双方向に遠慮のない自己主張や意思の疎通が可能で、会社でも家族でも恋人でも、こういうふうにものを言い合え、澱みなく解決できたらな、と時々思う。でもそれは、ひとえに美容師が美容師として限りなく有能で、美容師という立場から、わたしという人間をよくわかっているからであろう。

WRは5時間の映画のあと、名古屋から来た友人と一緒に東京ドームへ野球を観に行くことになっている。わたしは スタジオを予約して、サックスの個人練習。サックスだから 防音室さえあれば他には何も要らないのに、ドラムやシンセや沢山の録音機材のある大部屋に通されて、貧乏性なのか始終「…もったいない」という気持ちが払拭できず、落ち着かない。しかし、明日が会社のイベントでサックスを吹く本番なので、プオー、プオー、と練習に励む。鏡にうつる自分の姿が ばかみたいだ。なんだか孤独な鼓笛隊のよう。

野球終わりのWRと名古屋から来たWRの友達と、22時に新宿でお酒を飲む約束。それまでどうやって時間を潰そうか、と思っていたら、大学時代のサークルの先輩から「近所で飲んでる」との連絡が。孤独な練習の後だったので、人肌のぬくもりを求めて 喜び勇んで酒場へと飛んでゆく。先輩のうちのひとりが経営している ただならぬ雰囲気のカレー屋に、男女とりまぜた7、8人の先輩が集まっていて、プロジェクターのスクリーンに 東京ドームの野球の試合が写っている。「WR 今これ観に行ってるから来れない」などと説明しつつ、くだらない話の輪に加わる。結局、22時に新宿の約束は、名古屋から来た友達の体調不良とかでキャンセルとなり(中日が負けたショックかもしれない)、野球を観た後のWRも店にやって来た。サークルの先輩や友達には、自分はこんなふうに見えるかもしれませんがほんとうはこうなんですよ、とか、こういう音楽が好きでこういう音楽が嫌いとか、こういう本が、こういう映画が…、とひとつひとつ自分を説明する必要性が、もう出会った最初からいっさいないので、すごく楽だ。

仲間意識とか絆のようなつながりを感じるのは、サークルの友達以外の、もっと個人的な友人たちで、彼らにはむしろそういう思い入れは殆ど感じないのだけど、サークルで知り合った人々は、全員が暗くて、天才もいるし、馬鹿もいるし、エリートもニートもお金持ちも貧乏も格好良いひとも不細工も有名人も無名人もモテるやつもモテないやつも友人も恋人も、とにかくわたしにとってふつうだけど変なひとたちが 大体すべて揃っていて(だけど悪いやつとかずるいやつとか そういう類の変なひとは最終的には一人もいない)、だけどすべてが「サークルのひと」として何一つ特別なことにはならず、あたりまえに存在できているので、そんなふうに互いに突き放した間柄でいられることが、わたしはとても好きなのだと思う。

夜の道を、みんなで駅まで戻る。先輩の店は、住宅街の中のへんな場所にあるので、立ち並ぶデザイナーズ住宅を批評しながら、右へ左へ散らばったり集まったりしながら、つらつらと歩いていく。ラーメンを食べて帰る、というみんなと別れて、胃弱のWRとわたしは駅の向こうへぐるりと渡って家へ帰る。忙しい日だった。