セワシくんいない

会社で、50歳のおじさんトリオが、プレゼンに使う機器を取り囲んで「壊れている。完全に壊れている。」と憤っていた。聞けば、もう1時間半も、この 動かない機械と奮闘しているのだと言う。コンセントもケーブルも もちろんしっかり繋がれている。機器の操作リモコンの電池がないのでは?とすら思って、電池を買いに走って取り替えたけれど依然として動かないのだそうだ。

あ!と思い当たって 機器本体の下部側面に指を差し込んで押してみると、指先でわかるかわからないかの溝があり、それが電源スイッチだった。今流行の電化機器は、シンプルさを極限まで追及しているので、目に見える部分に余計な表示やスイッチがないばかりか、メーカーのロゴマークが燦然と輝いている以外は、どんな装飾も、僅かな凹凸さえも存在しない。消費者に対して「命にかえてでも 電源を入れさせてなるものか」と言う、デザイナーの強烈な意志が感じられるデザインに仕上がっている。会社で使う機器、と書くと「それでもはじめてのひとには電源の入れ方すら難しい、専門的な機械なのでは」と感じてしまうが、要は ただの液晶テレビ。自社製品。社員が3人がかりで1時間半費やしても、電源の所在がわからないテレビなんて、果たして売っていいのだろうか。今が こども時代に空想した「未来」であるとはまだ到底思えないものの、この頃「良いデザイン」と持て囃されているものはみな 流線型のフォルムをしているのが気になる。自分がおばあさんになった頃、若者はみな セワシくんのように見えるだろうか。

水曜日はWRもわたしも遅めの帰宅。夕食は 鶏肉のグリルにスイートチリソースをかけたのと、大根ときのこの煮物。食事を終えたらもう真夜中で、ねこの遊びを少しして眠る。この夜は、ねこんこがノロウィルスになって、ねんねこが“ほしいものふるさと(=干し芋の故郷)”といううたを作ったお話。ねんねこには うたをつくっている意識はまるっきりないけれど、ねじ工場のラインでせっせと働いているうちに、口からついて出てきたうたがこれなのだ。