斜陽と遭遇

月末。決算の為、3ヶ月に1度の緊張がはしる。何事にも良い時期と悪い時期がある、と言うけれど、景気に関して言えば、自分が社会人として生きる時代は もうずっと暗澹としたままだ。例え組織の末端にいても、減収減益なんて触れまわらなくてはいけないムードはつらい。

そういえば わたしはこどもの頃(島根県育ちなので)、“この県は日本一のスピードで高齢化や過疎化が進んでいる”というようなことを教師からさんざん聞かされて育っていたのだけど、そんな「斜陽感」というべきものの中で生きることは、幼心にとてもこたえたことを思い出す。次世代の自分たちが何とかしよう、という意欲や現実的な力を得る前に、ああ ここはそんなにダメな場所なのか、と思い知らされるばかりで、自嘲的になることで耐性をつけなくては生きていけなくなってしまう。おとなもこどもも そこで暮らすひとたちがまっさきに「どうせここは田舎だし」と嘲っていて、わたしは一刻もはやく 自分が誇りを持って暮らせる場所…という以上に、周囲のひとびとが自分自身をバカにしないで暮らしている場所へ辿り着きたかった。結局 大学に行っても会社に入っても「結局 こんな学校(会社)に来たってダメだよね」と 自分のいる場所を否定したがる種類の人々は 何処へ行っても一定数存在するのだということも、すぐにわかることになるのだけれども。
日本はダメだ、経済も社会も人間もまったく救いようがない、という今のムードは、こどもの頃わたしが逃れたかったその感じそのもので、思えば 場所や時代を移しても、その悪い影に追われて生きているのは変わらないような気がする。社会に対して もっと希望が持てる社会になれ、と願うのが無理だというのはもういい加減思い知っていて、どんな凄惨な社会であっても 希望が持てる人間となるよう、自分を適応させるしかないのだと思う。

金曜から 両親が東京に来た。父は仕事で、母は美術館巡りをしてきたという。仕事の後、母が泊まっているニューオータニ迄行き、ホテル内のレストランで食事をしていると、しばらく経って隣の席に案内されてきたのが、ベーシストで歌手で作曲家でプロデューサーで元HEで元TPAで元YMOのHH氏だったので、徐々にこの偶然の凄さに気がついて、びっくり仰天した。母は東京のホテルでしょっちゅう芸能人を見かけるらしく、平然としている。WRやサークルの友達が此処にいればいいと思った。そういえば、この前日には会社で元FCで元SMBのギタリストのKK氏にもお会いしたことを思い出し、この数日に限って わたし自身の思惑とは裏腹に、わたしは70年代ロック(邦)に取り巻かれているようだ。

帰宅して、WRにさっきの出来事を話すと、さっそく音楽をかけてくれた。

HOSONO HOUSE

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