何もないし何も変わらないし でも しかしむしろ

水曜日の時点で 今週はまだ2日間しか労働していない。連休の恩恵。なのに すでに背中のあたりに 何か得体の知れないどんよりとした重み。よろよろと会社を後にして、スーパーで夕食用の買い物をして家に帰る、と、こうして日記帳にしたためると、それだけの1日だったような気になるけれど、ほんとうは 朝焼けや夕暮れや暗闇があるように、時間の濃淡というのは 瞬間ごとにあまりにも違う。やさしく 心穏やかな時間もあれば、憎しみで満たされる瞬間も。数時間があっという間に過ぎ去るかと思えば、30分待つだけのことを、何時間にも長く長く感じたりする。たえず歪んだり広がったり、半永久的に伸縮しつづける時間のことを、わたしたちは日常と呼ぶ。

違う 違う違う違う違う、と 100回否定しても足りない。わたしの心とそれとは違う、違います、違うのです、わたしの感性が 他人から遠くかけ離れていて孤高、とはひとつも思わないけれども、少なくとも 世に溢れかえった紋切り型のその感覚とは違うのです。違う、違う、と 誰に対してでもなく 説明してまわりたいような心境。わたしはとても幸せなのです。でもそれは 今はじめて上書きされて はじめて開始した幸せではなく、わたしがかつて心の底からほしいと思い、照準を合わせた道筋のとある一点に 今 偶然触れた、単にそういうことなのです。ともあれ、わたしを知るひとに これからもっと沢山のことを知ってもらえることがうれしい。

アメリカ国の大統領がバラク・オバマに決定して、星条旗がはためく演説風景をテレビで観ていた。アメリカになんて どんな憧れも感じたことが無かったけれども、色々と問題はあるにせよ“挑戦するひと”を受け入れ、未来を託せる度量があるという一点に関しては、ほんとうに素晴らしい国だと思えた。むかし、拒食症で入院したとき 同じ病院で日系アメリカ人の夫婦と出会ったときにも、彼らと交わした会話の中から、同じようなことをわたしは感じたのだった。
他人にどう思われるか、そのことばかりに囚われて、じぶんがやりたいことをやることを恐れているひとが、とても多い。そして じぶんがそれを恐れているので、やりたいことをやるひとに対して、ひそひそ陰口を云うことになる。他人の心の内や思惑を一方的に予測したり想像して じぶんの範囲を狭めることは、じぶんの可能性を殺すばかりか、結局のところ、他人を軽視していることになるのに。相手の想像力を、自分の想像の範囲内で限定してしまっている。じぶんが知っていると思っていることから一歩も動くことができない、そんな世界はつまらないよ。