方針の無い生活

あいかわらず日常が平穏。仕事は単調と云えば単調だけど、毎日違う面白いことが無いこともない。以前 仕事や住む場所を転々と変えていた時期、自分で自分を客観的に眺めて わたしは単調な生活に耐えられないのだ、と思った。けれど実際は 単調な生活に、ではなく、方針のない生活に耐えられなかったのだと思う。

ふだん通り仕事を終えて帰宅すると 珍しくWRのほうが先に家に帰ってきていた。けれど 全然のんびりしたりしないで 持ち帰ったらしい仕事に専念している。WRは今週の後半の3日間は、仕事の都合でふだんより1時間 早起きをしているし、忙しそうなこと。集中しているWRを横目に、キッチンでトントコガッシャンと夕食をつくる。こどもの頃「ママキッチン」という玩具があって、それは玩具なのにほんもののホットケーキが焼けるという、夢のような玩具だったのだけど、WRと食べるための夕食つくりをしていると、ママキッチンでホットケーキを焼いている5才のわたしが ビックライトでそのまま大きくなったような錯覚をおぼえる。できあがるものは なぜかちゃんと本物なので 口に入れてもいいのだけど、わたしがつかうキッチンも鍋も包丁も、ぜんぶおままごと用の偽物のようなのだ。そのせいか この頃料理をしていてよくやけどする。この夜も、熱くなったフライパンの向こうに置いた瓶をとろうとして、フライパンの淵で手首の内側をジュッとやった。

部屋はまだ 整理がつかず、収納庫に入れられないもので溢れ返っている。いい加減、片付けなくては。おそるべきことに、2ヶ月前に届いたあたらしいベッドもまだ組み立てられないで、廊下の壁に立てかけられたままなのだ。節操のない未完成の風景が、すっかり我が家の風景として完成されてしまいそう。

この日聴いた音楽

ロビンズ

ロビンズ

仕事中のWRが流していた。ロビンズというバンドのアルバムは、この日初めて聴くはずなのに、この青くさい歌声は わたしの耳に素晴らしく聴き憶えがあるものなので、思わずクレジットを調べてみると、やはり“ははの気まぐれ”のひとだ。妄想を掻き立てる、こんな歌声の持ち主はよい。