先輩が泣く

金曜日。わたしだけ きっかり1時間遅く昼休みを取ったので、14時前に昼食を終えてフロアのトイレに滑り込むと、トイレで 40歳独身の先輩が 泣いてた。個室のなかではなく、入ってすぐの鏡が3つ並んでいるスペースで。それも、シクシク、という感じではなく、右手にトイレットペーパーを丸のまま握って、左手にその紙を巻きつけて「アーン、アーン、ウアアアァァァン」とまるで漫画の吹き出しのように 号泣していた。一瞬怯んだものの、黙殺するわけには行かないので「どうしたんですか」と声をかけると「アアアアアア、お恥ずかしいところをお見せしてエエエエ〜、申し訳ないですウウウウウウウウ、アアアアアアア」と、予想よりはまともな(?)返答が得られたので、やや安堵。しかも先輩も誰かに洗いざらいぶちまけて溜飲を下げたいようだったので、話を聞いてみると、上司と雑談中、言葉(慣用句)の言い間違いを指摘されたので「ハハハ、すみません」と軽く受け流したところ、その上司は「すみませんじゃなくて、それ間違いだよね?」と電子辞書まで持ち出して誤用と正解を確認させられ、おまけに仕事中の他のメンバー(40歳の先輩から見ると後輩にあたる人たち)までもを呼び寄せて、「ね、こんな使い方しないよね。ねっねっ」と事を大きくして晒し者にされたのだという。

…まぁ、その上司は意地悪なひとではないけど、かなり理屈っぽく融通が利かない所があり、その先輩は音大卒の箱入り娘なので、どちらが悪いというわけでもなく、コミュニケーションの根本からもう、壊滅的に合わないのであろう。上司は早稲田の男で、デリカシーに欠けるのだ。わたしやSYさんは そういうことを経験的に熟知しているので、今更まったく平気だけれど、もっとリベラルな学生時代を過ごしてきたであろう他の女性陣には、彼のそういうところはすこぶると評判が悪いのだ。

会社のトイレで泣いているひとを見たのは、これで2度目だ。平和な会社だと思う。ひとつ前の勤務先、中小の編プロに居た頃は、男女の別なくパワハラ的な物言いや、労働基準法に抵触しまくる勤務スタイルが当然のように横行していて、だけど、そこにいればそれが当たり前で、泣くことさえも考えつかなかった。けれど、今の会社の先輩たちを責めるつもりも毛頭なく、人間の“耐性”というのは環境の良し悪しに関わらず一定で、たとえ恵まれた環境にあっても、その限度内の底辺のような場所に触れると、誰しも“耐えられない”と感じるものなのだと思う。それにしても40歳の先輩の泣きっぷりには度肝を抜かれた。悪いものを見た、という感覚は全然なく、なぜかうつくしい、とすら感じる、人間の必死の抗議の涙だ。

帰りの電車で同じ会社のSMさんと会う。最寄り駅までお喋りをしながら一緒に帰宅。人と一緒だと、退屈な帰りの電車もあっという間だ。

スーパーでカレーの材料を買って帰宅。今夜はWRが本番前さいごの練習でスタジオに行くので、夕食は要らないとのことなので、明日以降に食べるカレーを作る。カレーといっても、ニンジンとジャガイモは わたしが嫌いなので入れない。大量のタマネギと鶏肉としめじとエリンギを投入して製作する。“庶民のカレー”は、料理の基本という風情で、いつ作ってもいかにも楽しい。今の小学生も、調理実習の初期のほうで、こういうカレーを作るのだろうか。確かに、野菜を切るとか、肉を炒めるとか、包丁使いの基本が学べて失敗もないからカレー作りはとても良いけど、逆に考えるとカレーはいつ誰が作っても何を入れてもカレーになるから、こどもには 出汁のとり方とか、酒、味醂、醤油でつくる和食の味付けの基本とか、そういう簡単だけど大人になっても知らないひとがいる基礎知識を、ちゃんと教えてあげればいいのに、と思う。それを知っているだけで、和食だけでなく中華でもイタリアンでも、料理を見て「どうやって作るのか想像もつかない」なんてことにはならなくなるのに。カレーは、どんなにめちゃくちゃに作っても、ちゃんとカレーになりすぎる。カラスや猫の肉を入れても、案外気づかずに食べられるのでは、と 鍋をかき回しながら考えていた。