セザンヌをさがす

連休の真ん中。この日はお昼前に家を出て、横浜へ行く。湘南新宿ライン。車体にはなぜか“大宮行き”などと書いてあって、何が湘南新宿だ、と思ったりもするのだけど、何はともあれ 瞬く間に郊外へ郊外へと曲がりくねる車窓を眺め、見渡す限りのススキ野原に驚嘆したりしながら横浜の地に辿り着く。今日の目当ては、横浜美術館の「セザンヌ主義−父と呼ばれる画家への礼賛」。セザンヌは 日本近代の文学者からなぜか人気絶大なので、今回の展示のタイトルが象徴しているように、本人が描く硬質な絵以上に、なんていうか 権威的なイメージがある。WRも小林秀雄の評論を読んで、セザンヌがちょっとわかるようになった、と言っていたし。セザンヌに関しては悉く、心で感じる以上に頭で感じる絵だという、そういうイメージが付き纏う。

正午頃、ちょうど到着した横浜の街は、ものすごい冬の青空。夏の青空が 水彩絵の具の水色なら、冬の青空は油絵の具の水色だと思う。濁りのない青なんだけど、じっと見つめた先に白がある。すぐに薄暗い建物の中に閉じこもってしまうのは勿体ないようなお天気なので、美術館をぐるりと囲む広場のベンチに腰をかけてみたものの、そこは 目の前に荒涼とした空き地が広がるばかりの、恐ろしく眺めの悪い場所であった。WRは横浜の街を好きだと言うけど、わたしはとても好きとは思えない。やたら巨大で 表面だけは妙にピカピカに整えられ、磨き上げられた、無数の建造物に気が滅入る。海もビルも電車も商店街も、なんだかすべてが嘘くさく、耐えられないような気分になるのだ。わたしは表面はボロボロだったり手付かずでみっともなくても、いざ 中を開けてみるとうつくしさが見えたり、温かさを感じるものが好き。横浜も、わたしたちが観光で歩く駅前のような場所ばかりではないのだろうけど、同じ都会の街にしたって、たとえば渋谷や新宿みたいに、誰の許しがあるわけでないにせよ あたかも「誰がどういうふうに使ってもいいですよ」と言わんばかりに、放りっぱなしになっている街が好き。観光者のわたしの目に映る横浜の街は、例えば「この一帯は白いタイルしか認めません」とか ホームレスがいても、なんとなく“いないことにされている”雰囲気とか、なんだかそういう虚飾のイメージがある。海も 船も 中華街も ここにあるものはぜんぶぜんぶぜんぶ嘘の塊で、ディズニーランドと変わらない気がしてくる。

セザンヌは 今回の展示経路の通り、人物画<風景画<静物画の順で良かった。WRと 途中何度もくすくすと笑い合ったけど、この展示は 少数のセザンヌに対して、古今東西多数のセザンヌ・フォロワーが散りばめられた構成になっていて、言ってみれば「偽 偽 偽 セザンヌセザンヌ 偽」と、初歩的なタイプのウォーリーを探せ状態で、中には「彼のセザンヌ風の作品の中ではもっともすぐれた作品がこれである」などという解説がついているものまであって、とにかく みんな揃いも揃って、セザンヌの真似をしすぎている。挙句の果てには、絵に描く果物のセレクトまで同じになっていたり(日本なのについ洋梨を混ぜてしまう。WRはしきりに「日本なのに柿とかない」「柿とか」と口の中で呟いていた)、また たとえば髑髏のように、静物画のモチーフとして、通常ぜったいに被りようがないものまでそのまま真似て描く始末で、ここまで時代をあげて盛大にパクり合っていればもう、パクりもパクりではなく正統な系譜にならざるをえない。芸術家の本懐のはずの「オリジナリティ」などというたわけた概念など、すでに端から存在してない。セザンヌが斜めにかしいだ人物画を描けば、才能ある者もない者もそれに続くし、セザンヌが水浴びする4人の裸婦を描こうものなら、自分が大和民族であることも忘れてそれを描く。なんだか穿った見方をしてしまったけれど、面白い展示だった。こちらもセザンヌの影響まるだしだけど、わたしは人物画ではモディリアーニのがいちばん好きだと思った。あると思わなかったマティスの切り絵(ダンス)も とてもとても好み。マティスの絵は、特に切り絵みたいなものは、いちばん印刷しても差し支えなさそうなのに、プリントと実物がこれほど違うものもない。

セザンヌの風景画、“林間の空地”と題された絵が素晴らしかった。紅葉のような、冬が来る間近の木陰の風景。黄色や赤やオレンジや緑、色々な色が転々として溶け合っているけど、自然の移ろいが暗く金色に輝いていて、引き込まれてしまう。かと思うと、葉がすっかり枯れ落ちた冬の木が描かれた風景もよい。わたしは 絵も写真も、相変わらず何を見てもポカンとしてしまってあまりよくはわからないけど。WRも 好きな横浜で好きなセザンヌを見られてご満悦の様子。短い時間だったけれど、集中して絵を見たせいで、ふらふらになって外へ出た。

通りすがりのカフェで遅い昼食をとって、古き良き地方都市の書店そのままの趣を残す有隣堂にチラと立ち寄って、帰路につく。文庫とはいえ、わざわざ横浜まで来て本を買わなくていいものを、と自分で自分にチクリとすることを思いながら2冊購入。今、暗くて重たい本を読んでいるので、気晴らしの気分でエッセイや日記ばかりを選ぶ。美術館でセザンヌの図録を購入済のWRは 自分から本屋に誘った癖に、ここでは何も買わなかった。

買った本

正直じゃいけん (ハルキ文庫)

正直じゃいけん (ハルキ文庫)

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)