夜は通り雨

連休が明けて、またお勤めへと通う日々。この休みの間は 外の誰とも会わず、電話の一本さえかかってはこないで、ずっとWRとだけ会話していた。それは半年間 誰にも会わないで、宅配で届くパンだけ食べて 本を読むかテレビを眺めるかする以外、あとは昏々と眠りつづけて過ごした時間に、とても近い。喋るのが嫌とか人間嫌いなわけではなくて、わたしが嫌だったのは、余計な説明のすべてだった。それが不要だとしたら、いつまでも喋りつづけられるし、同時に黙っていてもまるでへいき。WRと一緒にいると、どれだけ外に飛び出しても、ふかふかの繭の中にひきこもって生きている気がする。ぜんぶが部屋のなかで起きた出来事のように思える。というわけで、3日ぶりに会社へ出向くと、快活な世界の快活なやり方に、ちょっと目の前がくらくらする。

案の定 仕事が溜まっている上に 部長の無謀なスケジュール調整の要求に応えたりでバタバタと多忙で、帰りの電車では 乗り換え駅で電車を降りると、ホームの景色がいつもと違うので「降りる駅 ひとつ間違えた」と勘違いして一度降りた電車にもう一度乗ったら、最初に降りた駅で正しくて、わざわざご丁寧なやり方で一駅分余計に運ばれていく羽目になった。乗車した地点がいつもと違えば、降車ホームの景色も違ってあたりまえだった。ひとり慌ててバカみたい。

帰宅後、夕食。サニーレタスを添えたラム肉と、炒めた青梗菜を添えたホタテ貝柱。どちらもフライパンで焼いたものだけど、俄然 人気だったのはホタテ貝柱のほう。ホタテって、ホタテ本体よりも貝柱のほうが圧倒的に美味で、なんかつくづく倒錯した食物(生物)だと思う(それを食材として視たときの、人間側の身勝手な論理ではあるけど)。

ベッドに寝そべって本を読んでいたら、お化粧も落とさず服も着替えずそのまま朝まで眠ってしまった。掛け布団がベッドからずれ落ちて、たった一枚の毛布にしがみついて眠っていたので ぶるぶる震えながら、それでも朝まで決して決して目を醒まさない。