ネム子ちゃんと出雲のすてきなともだち

コンクリートを濡らす雨が冷たい。この不況の煽りで(窓際のわたしは直接関わる仕事ではないけど)部内でもっとも予算をかけて もっとも華やかに展開していた、広告展開のメイン・プロジェクトの終了が、この日正式に決定した。この仕事を任されていた同僚(スター社員)は、さすがにがっくりと肩を落としている。世の中の景気がよくて、誰もが派手な方 派手な方へと流れていって精神的にもこわいものなしで強気、という成長曲線の世界を想像すると、それはそれできっと物凄い違和感と息苦しさを感じるのではないかと思うのだけど、さすがに みんなが一斉に萎縮し、自信を失い、守りに入らざるをえない閉塞状態というのも、なかなか浮かばれないものがある。

夜は高校時代の同級生と銀座でお酒。高卒後すぐに お互いに東京の大学に進学して、大学も住まいも生活圏はとても近かったはずなのに、会うのはなんと高校卒業以来 はじめてのこと。

あまりに久しぶりに会うので、待ち合わせの間 ドキドキしながら銀座の街を歩きまわった。そこで立ち寄ったデパートの“クリスマス・テディベア・フェア”の一角で、ただならぬ雰囲気のねこ人形を うっかり購入してしまった。そのフェアは デパートがイギリスからテディ・ベア職人を招聘し、その場でお客の好みに合わせたクマを手縫いしてくれる、という趣旨なのだけど、テディ・ベアの大群に紛れて どういうわけか ひとつだけ ネコ人形が鎮座していたのだ。見つけた瞬間、「なぜネコが」と混乱したけど、同時に「これを買わなければ 人生終わりだ」というような、強い強迫観念に突き動かされ、そのまま自動的にネコを手に持ってふらふらとレジへ並んでしまった。しかし 買ったら買ったで「同じ年頃のおんなのひとは、同じ金額を出すなら絶対に服とか靴とかを買うだろうに(なぜなら このネコ人形はすごく安く見えるのに、実際は服や靴が買える値段なのだ)、わたしだけ なんでこんなものを買わなくてはいけないのだろう」と 人形の入った袋(異様に軽い)をぶらぶらブラ下げながら、はげしく煩悶する。

友達との再会は夢のように楽しかった。ずっと会ってなかったけど、高校時代からの“すらっとしたお洒落さん”というイメージはまったく変わらなかったから、待ち合わせでもすぐに彼女とわかった。スペインバルで、お酒を飲みながら なつかしい出雲のはなしや近況をお喋りしていたら、瞬く間にお店の閉店時間になってしまった。彼女は吹奏楽部で2年間一緒だった友達なのだけど、わたしがいた高校の吹奏楽部は 1学年だけで50人もいる巨大組織だったので、楽器のパートやクラス分けが違ってしまうと、同じ部活に属しながらも、仲良くなれる機会が全然なかった。それに、高校時代なんて、みんな自意識過剰で周りの目が気になるので、さいしょに決まってしまった友人関係から、卒業するまで動けない。なので お互いに ふたりだけでゆっくりお喋りすること自体はじめてだったのに、何を喋っても面白くて、大笑いの夜。

ずっと近くにいる友達でも疎遠になっていくひともいれば、どんなにインターバルがあっても、会った瞬間から自然に距離が縮まるひともいる。その違いは何かと考えてみると、過去の共有体験だとか、現在どれだけ共通点があるか、ということは実はあまり関係なく、それよりも それぞれがひとりの時間をどう過ごしてきたかに、強烈に関わっているような気がする。かつて出会いのあったひとと 再び出会えたとき、当時よりもっとわかりあうことができるとしたら、そのときはじめて 経験のすべてに価値があったということになるかもしれない。

帰宅して、WRに ネコ人形を見せてあげた。WRは「すでにうちにいるネコ人形たちも、理解するのは割と困難な部類だけど、このネコ人形を理解するには さらに高度の徳がひつよう」「自分はまだ、これを瞬時に理解できるだけの高みに達していない」「これ、なんか高貴じゃない?」「あまりにも高貴」と念仏のように呟きながら、頭を抱え込んでいる。たしかにこのネコ人形は、どの方向から見ても後光が差している。下手な仏像などより、よほど有り難いオーラに包まれているので、これからまいにち、手を合わせて礼拝することに決めた。WRには家内安全と学業成就を祈願してもらい、わたしは このネコ人形のようなファッションセンスが身につけられるよう、お洒落革命を祈願する。

ネム子ちゃんというなまえ。ばい菌がきらいなので、竹取物語風に筒の中で暮らしている。