地獄の帰路

金曜日。朝 昼 夕刻と、部署に付随する役員室で雑誌社の取材が立てこんだので、届いた商品の荷解きをしたり組み立てたり、また取材クルーを案内したり、なんだかバタバタと忙しかった。管や鍵盤やギターやドラムならまだともかくとして、チェロやバイオリンなどの弦楽器は、わたしにはまったく馴染みの無い不得手な分野で、持ち上げてみたときの意外な軽さや意外な重さに いちいち驚き、弦の置き方さえも判らずオロオロしてしまう。この日は 同じ会社の社員でありながら、輝かしい受賞歴で有名なデザイナーの方に初めてお会いした。どんなひとだろう、と会う前から想像を膨らませて楽しみにしていたのだけれど、じつに慎ましく謙虚な人柄で、クリエイターとかデザイナーという響きから連想する人格からは、もっともかけ離れたものを感じた。芸術的センスと実力を兼ね備えたこのひとは、へんにアーティストぶってエキセントリックな素振りをしたり、ラジカルな言動をする必要などないのであろう。こういうひとに接すると、何事にも文句を付けずにはいられない自分について 心の底から省みる。偽善的だったり損得を考えた上での謙虚(と感じるもの)には虫唾が走るけど、逆境や努力の上に築かれた謙虚さというのは、やはり一瞬で嘘ではないことがわかってしまうものなのだ。

この夜は、部署の忘年会でもあった。12月に入ってまだ5日にしかならないのに、気のはやいこと。

わたしの勤務先は 巨大な幹線道路沿いにあって、その周辺は まさしくわたしの勤め先のようなオフィスビルが立ち並ぶばかりで、ふつうの店舗が極端に少ない。だから此処の周辺にお店を出せば、ランチタイムに限っては どんな店でもぜったいに繁盛する。この夜の忘年会も、会社のおじさんたちがランチに通い詰めている、個人経営の小さな中国料理の店で行われた。餃子や焼きそばや坦々麺など お酒のつまみというよりはふつうの料理が山のようにサービスされて、飲み会というより食べても食べても食べ物が出てくる、地獄の食事会、といった具合。お酒が入ると、みんな普段とは違う顔をみせる。けれど、若い女とおじさんしかいないわたしの部署には学生のような飲み方をするひとはひとりもおらず、お店の予約時間の21時半ピッタリに宴はつつがなく閉幕。唯一 部長と同じ沿線で、駅まで隣のわたしは問答無用で部長と帰宅することに。音楽談義や 結婚相手の話、ミシュランの星がついた近所のレストランの話などをしながら 飲み会以上に気を遣う地獄の帰り道だった。

長い金曜日だった。先に帰っていたWRは 頭痛がするとのことでベッドに潜りこんでいた。とりあえず一週間が過ぎ去って、安堵。注がれるままに ジュースのように飲み干した紹興酒が効いたのか、妙にぽかぽかと温かな心持でよく眠る。