アメリカ

あらかじめ有休を取っていたので、月曜日は会社をお休み。とはいえ、楽しい予定があるわけではなく、この日のメインイベントは銀行へ趣き、口座の名義変更をすることだった。銀行は どうして平日しか開いていないの!その上 どうして15時までしか開いてないの!と、おかあさんも専業主婦も持たないおとながかならず一度は考えることを わたしも考えていつもいらいらする。銀行員の姉にも 会うたびにそんな市民の声を訴えるのだけれど 姉曰く「銀行は 15時に店を閉めてから忙しさのピークがやってくるのであって、あの多忙な業務の合間をぬって9時-15時まで開店していることのほうが 言うなれば奇跡」などと述べ、市民(わたし)の訴えをあっけないほどに斬り捨てていた。

市民にとっての銀行は窓口のことで、窓口世界が銀行のすべてに違いない、と信じているのに 中のひとたちにとってみれば、窓口業務など 星の数ほどある業務のひとつにすぎないのか!この思い入れの差は あまりにもかなしい。かなしいけれども、かなしみに暮れているうちにあっという間に15時が来て窓口が閉じてしまうので、あたらしい印鑑を慌てて買い求め、区役所で証明書を発行して貰ったのち、窓口へ急ぐ。

午後になってやっと用事が一段落したので 平日の街を謳歌したくなり、新宿へ行ってみた。デパートの服屋に入るのだけど お客が少なくて暇なのか「今日はおやすみですか?」などと店員の方々が何時になく意味もない会話を始めようとするので、服屋巡りもたちまち億劫になる。

服を手にとって眺めていると「冬物だけど春まで着れる」とか「ジーンズにもスカートにも合う」だとか“いかに着回せるか”を横から喋りたてる店員がとても多いのだけど、誰も彼もがその一着をいかに着回すか、だけを考えて服を選ぶわけではない。服を手にしてぼーっと考えている客というのは、店員のアドバイスを待っているのではなくて、自分のクローゼットの中を思い浮かべながら、この服が似合うかどうか 或いは買うべき価値があるかどうかを考えているわけで、決して“春も夏も秋も冬も着られるから”とか“ジーンズにもスカートにも会社にもちょっとしたパーティーにも着ていけるから”とか 決してそんな貧乏くさい低次の理由で逡巡したり決めたりするわけじゃないのに。デザイナーの名前がついた(=高い)店でさえ、そういう勧め方をする店員は意外と多かったりするものだ…、と、ここまで書いて、その対応の要因は わたしが 着回しのことしか頭にない、貧乏くさい格好をしていると見做されるからではないか、と思い当たった。がーん!

WRは取引先との飲み会で、この日は遅い帰り。夕方には街から戻って、家の近所でぶらぶらと過ごす。「罪と罰」を読み終えた直後からもう、ドストエフスキーの長編を立て続けに読みたい衝動に駆られているけど、今読んでいるのはWRの本棚から適当に抜き取った「ガープの世界」。アメリカは 小説の中身がどんなに面白くても、さっさと読んで脇に放り投げたくなる。小説の世界にわたしが求める、世界観のコードのようなものに、例えば「レスリング」という単語は、絶対的に“あってはならない”。アメリカ本に 心底惹かれた試しがないのは、結局いつもこういう理由。

ガープの世界〈上〉 (新潮文庫)

ガープの世界〈上〉 (新潮文庫)

ガープの世界〈下〉 (新潮文庫)

ガープの世界〈下〉 (新潮文庫)