ディナーハザード

蚯蚓が這うように平日が進む。会社の仕事は相変わらず平凡で平和。ちょっと嫌なことやちょっとした充足感は 日々くるくると訪れるけど、兎にも角にもサラリーマンでいられる限りは、半永久的に平凡で平和。それはなぜかというと、自分でそういうものだと思っているから。

WRは残業で帰宅が遅い日。なので 特に急いで帰る必要もないわけだけど、たまには混んでいない電車で帰りたくて、定時の鐘と同時に会社を出る。たとえ5分か10分の差でも、18時を過ぎるのと過ぎないのとでは 駅に向かう人並も、改札の混み具合もまったく違うので。i-podが壊れてからというもの、通勤時間は まるで苦行だ。細かい乗り継ぎばかりなので、電車の中で本は読めないし。どうせいつかは買い直すのだから、お給料日がきたら観念してあたらしいi-pod買おうっと。また健太郎が儲かる。

WRが夕食要らない日なのをいいことに、夕食は テレビを点けながら(見てないのに)、ねこ人形を侍らせて 寝っころがってチョコやビスケットを食べた。まるで親がいない日のこども。別にWRが早く帰ってくる日でも、大して怒られないだろうしそんなふうに過ごしてもいいのかもしれないけど、そこは“家族として暮らしている”最後の砦というか、もしくは親元で養育された18年間の刷り込みの産物か、やはり「家で作った食事を用意して、夕食を囲む」というスタイルはぜったいに崩したくない、と思う。ひとりでいると 瞬く間にモラルハザードを起こしてしまうけど。ひとり暮らしの社会人だった間は、将来の為でもお金の為でもなく、最低限 にんげんらしい姿を留めておく為に仕事に行っていたようなものだ。外に出る用事がない限り、大してお風呂も入らなくてへいきだし、食事もお菓子で充分だし、元来ものぐさな自分は たちまち反社会的な存在に成り下がってしまう。その後 3月の帰省の為の航空券手配などをしていると、WRが帰宅。今週も仕事が随分多忙のようで、ひどく疲れている模様。珍しくわたしのほうが後に眠る。映画観たい。本読みたい。行きたい展示会もある。今は、週末が待ち遠しいだけの生活。