人身事故的な

繰り返し繰り返し 反復するばかりの月曜。1年やってみて 会社勤めはもう飽きた。わたし ママみたいに主婦になるか、パパみたいに社長になる。嘘。それは嘘だけど、会社 いつ辞めようかな、と考えると弥が上にも心が躍る。自分の自由意志で 何かをすっぱり断ち切る瞬間って、実際のところ その先を始めることよりも余程心が沸きたつもの。彼女のことを わたしはきちんと真正面から軽蔑すべきだ、ということを 忘れないようにしようと思った。彼女は良いひとの素振りをしている悪いひとではなく、おそらくは根っからの良いひとで、ただ良いだけのひとだから悪いのだ。ただ平和で善良で主観の視座から一歩も出ないで物を判別するだけのひとを、わたしは責任持って軽蔑していたい(これはぜんぶ 会社にて とある女性に接するなかで、感じ 結論づけた こ と)

今日はWRが残業なしで出られるとのことで、19時 渋谷で待ち合わせ。のつもりが、丁度 山手線の人身事故にぶつかって、普段ならものの10分で着く経路が大混雑の上45分もかかって、げっそり。ようやくWRと落ち合って、必要なお買い物をさささ、と済ませて通りすがりのてきとうなカレー屋(夕飯時なのに人気がなく、ビートルズが脈絡ない曲順で流れている)で食事。昨日 ネクタイを買ったお店で、WRはまたネクタイを買っていた。この2日だけで、ネクタイが4本も増殖している。ネクタイ富豪。紐だらけ。コンビニでジュース買って帰宅。100%のぶどうが無かったので、グレープフルーツにした。わたしたちは 普段 ぶどうジュースをワインに見立てながら飲んでる。

先週 モバイルインターネットを買って、ようやく家でのPC作業が可能になったのに、モバイルのインターネットが ものすごく遅くて調子が悪い。夜21時以降とか 深夜 早朝、まったく繋がらないサイトもある。夜21時以降深夜か早朝しか家のPCに触る暇はないのだから、これはとてもとてもとても困る。乗ろうとした電車が 迂回しても迂回しても人身事故で止まっているような感覚。だから おとなしく回線繋げば良かったんだ……以前、別の会社のモバイルを使っていた時期も 時間や天気で全然繋がらないときがあった。ひとりではなくふたりで生活するようになったのだから“物事の決め方”に関して、ひとりのときの流儀や蓄積は刷新しなければいけない、と気がついた。独断ではなく相手の経験や意向も考慮せねばならない、というような浅薄な話ではなくて、そこから更に踏み込んだ領域での、刷新。ひとはひと、わたしはわたし、と呑気に呟いていられる時代は過ぎた。ひとの選択が自分を侵食してくるし、わたしの選択もまた ひとに多大な影響を齎す。だから干渉も独断も、想像する以上に過剰に必要となるのかもしれない。ふたりで暮らしていることで、はじめて楽しくなることもあれば はじめて困難となることもある。日常生活に実はずっと潜んでいた、可変性しかない概念に、日々あたらしく 気がつく。