ねっころがれない

決算関連で 瞬間最大風速的に業務が多忙。とはいえ大した驚きもないようで、思ったほどには電話も鳴らないし取材も少ない。しかし記者の中には「2割減とのことだが、前年比で実額幾らのマイナスですか。それは今期のユーロ換算だと幾らになって、x部門とy部門に分割したとき、それぞれ何%の影響ですか」とかいう“算数的な解答”を一気に電話口で求められるので、それがとてもとても恐ろしい。

……高校時代 松下だか松岡だかいう、年中白衣を着ているマッドサイエンティスト的風貌の数学教師がいて、速記のようなスピードで問題文を板書すると同時に不意打ちで生徒を指名し、指された生徒は教科書もレジュメも無しの丸腰で黒板の前で解答させられる、という恐怖の授業が執り行われていたけれど(ちなみに解けなくて呆然としている生徒は しばし沈黙の教室で晒し者になったあと、別の生徒が指名されるので、空気のように壇上を去らねばならない。この先生はテストを返却するときも、悪い順に点数を読み上げながら返してた)、その恐怖の数学がフラッシュバックする。その松下だか松岡だかは、放課後 わたしが部活の楽器を抱えてブオーッと音を出しているところに通りかかって、「おまえは文系の科目やそういうことはよくできるんだなー。数学は全然やらんけどなー。まぁそういうやつなんだわなー。はっはっは」と言って去っていったことを思い出す。1年くらい授業を受けていたけど、数学の時間はいつも身を小さくして「当たりませんように」と念じていて会話など一度もしたことがなかったので、その言葉にさえ 当時はたいそう怯えたものだったけど、今となってはとても良い先生だった。……

と、過去の思い出に浸るのは置いておいて、現実的に目の前にある決算書の数字というやつは、一目見ただけでは 単位が一億なのか十億なのか一千億なのか その時点から不明瞭だし、しかもその電話自体も英語だったりするので、もうアイキャンノットスピークイングリッシュ。アイライクジャパニーズティー。フォア サイトシーイング。跡形もなく消滅したくなる。学校の勉強は社会で何の役にも立たない、と言った無責任なひとたちに、直ちに訂正しろ、と言いたい。こんなのぜんぶ学校で習った。しかし もはや習ったという記憶があるのみなので、不意打ちで こんなふうに超横断的なコンボで出題されても「そっちで勝手に計算しといて下さい」と言うしかない。宿題だったら、家でゆっくり考えるとか ママにやってもらうとかして完璧にして持ってこれるのに。そういえば こどもの頃から高校を出るまで、きらいな宿題はぜんぶママがやってくれてた……で、わたしはその間 ねこの世話を焼いたりビスケットを焼いたりしてた。よくもちゃんと大人になれたものだ。いや、そのせいで今 会社で現実的に困っているのか。よくわからないけど とにかくふだん使わない頭を使い、神経を使い、トリックを使い、疲弊した。おつかれさま。

WRは勤務先の飲み会で遅い。ぶらぶら寄り道でもして帰ろうかな、と思ったけれど、会社を出た瞬間に 一目散に帰宅するに限る、とあっさり心変わりして、まっすぐに帰宅。帰宅すると、マンション入口に数段ある階段の真ん中で、一組の母子が座って たこ焼きを分け合って食べていたので、なんというか、驚く。

近頃 慢性的に 心が殺伐としすぎている。美味しいハーブティーを飲んで、バスルームに柚子の香りの入浴剤を入れてリラックスして、アロマを焚いてシューベルトでも聴きながら 好きな作家の本を読んで心に栄養をチャージしながら眠りましょう的手法は、わたしの場合まったくストレス解消に繋がらない。むしろ馬鹿じゃないかと思う。というわけで、殺伐とした気分のときは その殺伐を ただぼーっと観察することになる。殺伐にも推移はある。はやく楽しくあそべますように。