36ムーミン

珍しく事務作業に追われて多忙。ラッシュの山手線内の動画でしょっちゅう流れる アビバのコマーシャルの中のひとのように。売上げ報告書を作るように上司に命じられた 新入社員と思しきふたりの男が出てくるのだが、左側のメガネの男は アビバに通っていなかった為 無謀にもすべてを手打ち入力しようとするが時間切れであえなく敗北。斜陽の人生がはじまる。かたや右側の男は アビバでエクセルやパワポをマスターしたお陰で、表もグラフもすべて完璧!出世が約束される!ボーナスが増える!可愛いお嫁さんがやってくる!幸せになれる!

わたしもむかしは左側の男だった。でも今はちがう。アビバにはまったく通っていないけれど、特に「差し込み印刷」のスキルなら誰にも負けないと言える。しかし 実際そんなことはすべてどうでもいいこと。どうでもいいことだからこそ“仕事”と思って割り切ることができる。それより、経費削減で外注を減らしたいのだろう、仕事の割合として 作文や校正の仕事がテキメンに増えてきて、嫌だ。業界誌や社内報に載せる文章なんて 文章ではなくただの情報の羅列であるのに、その中で良文も改善もないだろう。文章を書くしごとがしたい、と口走るひとは腐るほどいるけど、実際前の仕事場には「ノーギャラでいいから雇ってほしい」と言ってくるひとも少なくなかったわけだけど、わたしは雑誌に雑文を書くくらいなら エクセルの表をつくったり お客に玉露を煎れたりするほうが断然良い。漱石カフカも大江も読まないひとに 作文指南をされるなんて 狂気の沙汰よ。部長から大江のエッセイが悪文の好例として添削されまくっている、ビジネス書的な日本語本を手渡され「この本を参考に、全社共通の文体パターンのテンプレートを作成するように」と命じられ、大袈裟じゃなく 絶望。大江といえば昨年末、日本人の存命のノーベル受賞者たちとともに 何かの晩餐会に招待されて、近年 化学賞や物理学賞を受賞した理系の学者たちにひとり混じって佇んでいる記念写真を思い出す。WRとふたりで「ひとりだけ変態性欲者が混じってるよ」「なのに誰も気づいてないね」とクスクス笑っていた。一歩家を出るだけで、通用する常識が 天と地ほどに違う。何もかもが今に始まったことじゃないけど、その落差に突き当たるたび まるではじめて知ったみたいにショックを受ける。

この日もSMさんからの夜のお茶の誘いを毅然として断り、まっすぐに帰宅。WRの朝の何となくのリクエストに添って「洋食」を作成。マッシュルームを入れたデミソースのハンバーグ、塩茹でのアスパラガス、コーンのバター炒めなど。あいかわらずきのこの混入率が高い。

しばしビートルズを聴きながら読書をする。部屋が寒い。 都心部の公共トイレの命名権が400万で手に入る、というニュースを見たWRが「“うんこトイレ”は?」「“うんこトイレ”がよくない?」としきりに主張していた。今夜 同じニュースを見た小学生はたぶん全員、同じ趣旨の発言をしているに違いない。やっぱり今週は 過ぎ行く速度がべらぼうにはやい。家のダイニングテーブルの上と、会社のデスクと、携帯の待ち受け画面に それぞれ別の種類のムーミンカレンダーがある。毎月、毎月絵柄が変わって、あたらしいムーミン谷の絵が現れる。ムーミンカレンダーの日付を毎日凝視しながら生きている。