金曜夜のお茶会

普段通り仕事を終えて、同僚で同じ街に住むSMさんと同じ電車で帰路に着き、家の近所で夕食ついでにお茶を飲む。

中にいる者同士でしかわからない類の仕事の話(可愛い愚痴)、近所にあたらしく出来た、或いは消滅したお店の話、夫の話、給料が上がらない為 貯金もままならないという話、こどもがいる女性社員のスクリーンセーバーやデスクの上に 往々にして我が子の写真が飾られているが理解に苦しむという話など、いかにも生活に密着しすぎた、女臭い、文学性の片鱗も見出せない話題に終始。だがとても楽しい。それに、金曜の夜というだけで 足首に繋がれた紐が解けたような 自由さを感じる。SMさんの夫は 自宅に事務所を構えたフリーのデザイナーなので、普段の夜はいつも会社勤めのSMさんの帰宅を今か今かと待ち構えている節があり、彼女も帰宅時間をいつも気にしているので わたしも、いつも間接的に、情けない男だと思う一方、SMさんの夫の機嫌を気にしてしまう。しかしその夫も今晩はクラブに遊びに行って、深夜まで帰らないというので、こちらは深夜までお酒を飲む気はないにせよ、その点でもより一層の開放感がある。女のひとは、どんなに強く見えても、いつも恋人や夫の機嫌や行動を気にして生きている、と思う。だから 恋人や夫との連絡をしょっちゅう気にしている女性といると、やはり女である以上 こちらもその友人の向こう側に透けてみえる彼らのことを気にしないではいられないし、“自分の男”ではない彼らの機嫌にも、間接的に いとも容易く縛られることになる。彼女や妻に対して時と場合に関係なく過干渉な男性は、かならず 彼女の傍にいる別の女性のことも束縛している。恐妻家の男性もいるにはいるのだろうけど、男性の場合は他人の彼女や妻の機嫌など 表面的には気にするような素振りを見せても 結局のところそんなところは何処吹く風だ。女は、どんなに自立しているように見えても、男の都合で生きている、と思う。(WRの場合は全面的に信頼して放任してくれているのだが、それでも)自分だってそうだし、誰を見てもそう思う。男に媚を売らない女は 大概 男を過剰に敵視しているし、男に媚を売る女で、男をまともに批評できるひとはいない。男だ女だという二元論も馬鹿みたいだけど、因果だと思う。帰り道 夜風がひどく冷たかった。WRとねこ人形で遊んでから寝る。ねこに、知らない友達(柔軟材のマスコット・キャラクター ファーファという依存的な性格の小熊)が遊びに来たという話。ねこの家に突然訪ねてきて ズカズカと上がり込んだかと思うと「ねこちゃんのおうち くさい!」と叫んでとんで帰ってしまった。失礼なやつだった。