川崎へ

生理痛で早朝に目を覚ます。月に一度の 薬漬けの長い長い一日が始まる。平日にこれだと 会社の席に存在しているだけでまったく仕事にならないけれども、せっかくの休日がこんなことで潰されるのもそれはそれで癪に障る。結局、お昼前までベッドに病臥。引き続き家で寝て過ごすか迷ったけれども、当初の予定通り WRと外出することにする。行き先は 川崎。川崎に何があるかというと 川崎駅前のショッピングモールの1フロアで「人体の不思議展」を開催している。品川から京浜東北に乗り換えて、適宜鎮痛剤を補充しつつ、川崎に辿り着いた。駅前の光景が、あからさまに“郊外的思考の都会志向”を体現しているので、驚く。都会で一昔か二昔前に「新しい」ともてはやされたファション・飲食・生活雑貨等の店舗を、無節操にすべて巨大化して取り入れた、というような。都心では(表面的には)とっくにその価値を崩壊させたように見える、巨大消費文明のようなものが、まるで今始まったばかりのように ぴかぴか ぎらぎらと待ち構えていて、見渡す限り 安くて多くてプラスチック的なものの大洪水だ。右に行けば東京があって そこには東京の文化があり、左に行けば横浜があって、そこには横浜の文化がある。川崎にはそこに在住するひとたちの、そこの中だけで巨大な渦を巻く 熾烈な消費文化がある。エアポケットのような、こんな場所があるなんて知らなかった。

人体の不思議展」は辺鄙な場所でひっそりと開催されているのかと思ったけれど、中に入ると展示ケースにずらり、とお客さんの行列が出来ており、かなりの盛況だった。本物の人体標本という割に、特殊な加工を施されているため、生々しさは皆無で まるで乾ききった蝋人形のように見える。未知な物、という観点では 動物の骨格標本よりも、恐竜の化石や骨組みに近い。この展示は(主に倫理的な理由から)各地で物議を醸しているようだけれども、「気持ち悪い」とも「間違っている」とも感じないまま、自分の身体の中を開いて見ているような感覚で、淡々と凝視。WRは やはり倫理的な抑制なのか、あまり気持ちのいいものではないからか 全ての標本の前をさささ、と足早に通り過ぎ、うーん こういうのって、なんていうか趣味悪いよね、グロテスクだと思うよ、という姿勢だったけど、わたしは、かつてしばらくの間 東京から離れて(逃れて?)兵庫県に滞在していた頃、入院患者ではないけれど個人病院に居候する、という奇妙な暮らしをしていた際、(患者さん用の浴場は使用できないので)お風呂場代わりに 今は使っていない手術室のシャワーを使い、今は使っていないけど 相変わらず「霊安室」というプレートは貼りつけられたままの霊安室に、ベッドを入れて貰って毎夜 毎夜 平然と安眠していた。生まれつき 嫌悪感のアンテナが麻痺しているのかもしれない。ものの30分ほどで展示を回り終え、遅い昼食を食べ(会場出口に設置してあった“触れる標本”にペタペタ触った手のままサンドイッチを食べてしまった)、川崎に来た記念に丸善で本を購入し、行きとまったく同じ路線を反対に辿って帰路につく。川崎駅構内の「かわさき蕎麦」という看板を横目に、WRが 「『人体の不思議展』って、なんで川崎でやってるんだろうと思ったけど、皮裂きね…フーン……」と 遠い目でひとり納得していた。外気はとても冷たいけれど、夕暮れ時が 少しずつ 長くなってゆく。近所の珈琲屋で、少しだけ本を読んでから帰宅。部長から渡されたへんな日本語本を読まなければならない苦痛を契機に このところ低迷しがちだった読書熱がかえって再燃する結果に。

この日買った本

眩暈(めまい)

眩暈(めまい)