残業、その後

朝いちばんに、部長から「今日〆」の」原稿チェックを渡されて、結局残業。普段ヒマだ、ヒマだ、と大威張りで叫んでいるけど、現在メインにしている秘書業務は、全て他人のスケジュールやアポなしで巻き起こる突発業務に対処するという仕事なので、一日中微動だにせず原稿に集中できれば済む仕事も、1時間毎に会議室を片付けつつ8人分の来客にお茶を出したり、伝票打ったり、取材対応の電話を受け付けたり、普段の業務をこなしながら行おうとすると、途端に誰よりも多忙になる。この日は21時まで残って原稿書き、その後 最後まで残っていた(残ってくれていた?)苦手な同僚と五反田で夕食。

−−−普段苦手にしているこの同僚が、最後まで残って わたしには書き方がわからない英語の契約書作成を助けてくれた。きらいなところが100個あっても、彼女の英語力はわたしと比較にならないほど優れている上、誰に頼まれたわけでもないのに 自分の仕事を差し置いてさえ、それを助けてくれる親切心がある。それはわたしにも他の同僚にも、助けてあげたい気持ちまでは持てたとしても、実行に移すことはほぼないだろう、という彼女の美点だ。実際、この日の仕事の英語の難所は、彼女のヘルプのお陰で上司から突き返されることもないと思える。英語の難所で、ひとり困り続ける面倒や、上司に眉を顰められる面倒が避けられて、凄く有難い。でも正直、その有難さは、彼女の親切心に対してというよりは、ラッキー!という感じだ。彼女の実力には感服するし、尊敬さえもしてしまうけれど、でも、だけど、意図的であるかそうでないかは別として、そうやって人助けをすることによって無言の内に今後の友情を強制されているような気がしてならない。「ありがとう!助かったよ!じゃ、わたしは急いで家に帰らなきゃ!また明日ね!」こう言って、自分だけ帰宅することもできるにはできたけど、それができるひともいるけど、そうやって帰った後の後味の悪さを思うと彼女が提案した“五反田で夕食”に行かないわけには行かなかった。英語、英文、英会話、この一点に関してだけでも、絶対的に彼女はわたしに勝っている、なのに、得体の知れない同情心を、そのひとに対して抱いてしまう自分が嫌だ、どんな友人に対しても、ついぞ持ったことがないような感情。友人は、つくるものじゃなくて気がついたら自然になっているものだ、そのことを知らないで「これあげる、だから友達になろう」と云われているようなバツの悪さを感じる。ああひどい自己嫌悪だ偽善者だ相槌も笑顔もこわばって仕方がないのに、なんで彼女だけまるで初めてのデートみたいにはしゃいで楽しそうなんだろう−−−

23時の電車で帰宅。なかなかしんどい木曜日だけど、妙に目が冴えて眠れなかった。明日は金曜。仕事の続きで気が重い。