あの公園

昼前に起きて、特に目的は無いが公園を歩きに吉祥寺へ行く。駅前を出てすぐの、台湾料理屋「旺旺」で懐かしい かけごはんを食べ、ついでにその近くにある前の前に住んでいたアパートを眺めて、ぐるりと公園へ。入り口のスタバで珈琲を買って、怒涛のような人混みの遊歩道をしゃかしゃかと歩行する。夏の夜、冬の早朝、考え事があるときもないときも、人気のない公園の中をいつも散歩していた。でも、日曜の行楽客の快活なざわめきは、一切の感傷を介在させない。どんな微弱な香りも掻き消す。思い出させもしない。なので、わたしもWRとお喋りしながら快活に散歩。ううん、だけど、人の居すぎる公園というのは、どんな公園でも一周まわったら帰りたくなるね。

もちろん鞄に本を詰めてきたので、くぐつ草かどこかで珈琲を飲みながら読書しようかと考えていたけど、やはり混んでる。休みの日に、外で読書しようなんて、そろそろいい加減 あまり考えるべきではないのだ。会社の同僚(苦手なひと)が、誕生日だと言うので、小さな贈り物を買う。なんで…、と思われるかもしれないが、ふたりきりになった瞬間を見計らって、凄い秘密でも打ち明けるように「明日、わたし、またもうひとつ年をとるの…」と小声で囁いてくるのが彼女なのだ。あ、そういえば明日誕生日だ、って 思いついたままさらりと云うのではなくて、何だかじめーっとした口調で、凄い意味でもあるみたいに重く云う。彼女がこの週末、何処か行かない?と声をかけてきたのも誕生日にいつも通りに過ごすのが寂しかったからだと知って、また色々と考え込んでしまわざるをえない。そういう思いを払拭するためにも、まさに「気持ちばかりの」品ではあるが、沈鬱な心境でプレゼントを選ぶ。友人に贈り物を選ぶときは、いつも嬉しい。けれどわたしには彼女が好きだとか可愛い嬉しいと思うものがわからないので、何か重苦しい苦行のようだった。相手が喜んでくれる顔を想像するのがプレゼント選びの醍醐味だとして、わたしは彼女が喜ぶことを ほんとうはひとつもしたくないのだ。プレゼントという概念が成立してない。これはあまりにも違反だ。プレゼントで誤魔化して、お金で解決しようという自分の魂胆にも嫌気がさす。ああ もう 彼女とわたしは壊滅的に合わないので、関われば関わるだけ救いようがなくドン詰まりに不幸だ。最初からわかっている。問題は、それを了解しているのがわたしだけだということだ。しかし日記の中で、こんなに具体的な性格の悪さを発揮しているわたしはわたしでどうかしている。とにかく、彼女に関してだけは、ダメだ。どんな会社でも、どんな学校でも、定期的にかならずひとりは現れる。わたしは無条件に、何の理由もなくひとから好かれることがおそろしい。犬が嫌いな理由と関係あるのだろうか、これは。苦悶の表情を浮かべながら何とか選び取ったプレゼントを握ってレジに並ぶ。WRが お店の外から遠巻きにこちらを見ている。何もしないで、棒のようにぼうっと立って、こっちを見ている。わたしが買い物をしている間、することがないからただ ああやって、立って待っているのだ。面白すぎる。笑いそうになる。

なんだか疲れてしまった。電車で帰宅。WRは本を読んだあと、夕食も食べないで朝まで眠ってしまった。わたしは夕食を食べて、そして眠る。明日は雨の予報。