他人の家の橙色の窓のあかり

たった昨日の日記にて 社内の人事異動の話なんかに夢中になるなんて馬鹿じゃないの?なんて書いたばかりではあるけれど、この日 メディア向けのリリース以外で、部長が発表した人事でうっかり「わっ、すごい」と思った件がある。部内でいちばん若い男性(とはいえ、平均年齢が高すぎるので、いちばん若いこのひとも30代中盤だけど)が、並居る50才たちをゴボウ抜きして課長(ほんとうの名称は、横文字。だけどわかりやすく云えば課長のようなもの)に昇進したのだ。元々 並居る50才と比較するばかりか、ふつうの20代と比較しても背が高くすらっとしていて凄く格好良いひとだというのもあるけれど、ただのサラリーマンの、サラリーマン的な昇進なのに「すごい。格好いい!」と感じてしまった。わたしは 過去、薄幸の美大生とか 物凄く成功しているミュージシャンとか、所謂そういう“とくべつに思えるひと”が大好きで、サラリーマンなど個体の識別もできないし、見向きもしなかったのだった。だから サラリーマンを尊敬したのは、初めてかもしれない。そのひとは 体育会系で、営業トークが冴え渡るような、世間がイメージするバリバリのサラリーマンタイプかというと全然そうではない。サラリーマンで、営業ではないにしても顧客やクライアント、つまりは社内外問わない人間相手の仕事なのに、まるで研究者か何かのように、常に寡黙で落ち着いている。暗いわけではなくて、必要なときやエレベーターで乗りあったとき、誰とでも静かな口調でお喋りをするけど、やっぱりとても落ち着いているし浮わついたところがひとつもない。頭が良くて、無駄口をきかず的確な言葉だけを簡潔に喋り、デスクに向かっているときの集中力がおそろしく高い。それでいて、人から何か訊かれると敏捷な反応で返答がくる。指がきれい。いつもコーラかジュースのペットボトルを脇に置いているのに、体が棒のようにまっすぐ細い。30代半ばで奥さんと子供もいるのに、誰の目にも20代に見える。WRにとても似ていると思う。WRも このひとみたいに出世してくれたら、格好良いね。何故このひとが出世してくれたのが嬉しいかというと、サラリーマン社会で出世するには、上司に付き合って深夜までお酒をがぶがぶ飲むとか 声がでかいとか 汗と涙と根性で営業回りとか 自我を殺すとか、そういう古典的な、社会の歯車的なサラリーマン像にわざわざ自分を当てはめなくても、人並み以上の知性と良識と冷静ささえ兼ね備えていれば、自然体で存在しているだけで人望も評価もついてくる、ということが具体的に信じられるからで、WRは一般企業のサラリーマンとは少し前提が違うかもしれないけど、やはり仕事をして生きていくからには認められて、頭脳明晰さを発揮しつづけてほしいと思う。お酒をがぶがぶ飲んで、上司に取り入ったりしない、今のままで。

バブルが弾けて サラリーマンの給料が上がらなくなって 大学生活が就活で潰されるようになってから急速に、どんな業種であれ、サラリーマンであること、組織に属して働くことが、無個性で社会の歯車で格好悪いと言われるようになった。わたしもちょっと若い頃は同じように思っていたし、大学生くらいの年齢の自分よりも若い友人と会話をすると、話の流れは そういう風になる。自分はサラリーマンなんて絶対無理だしなりたくないから、大学院に行くんだとか専門職に就くんだとか芸術家になるんだとか云ったりする。でも殆ど、というかすべての場合、大学院に入っても凡庸な(あるいは絶望的な)就職が待っているだけだし、専門職に就けたら就けたで、組織に属するという点では会社員と変わらないし、芸術家には、サラリーマンが嫌だからという理由では、なることができない。そして わたしの知っているひとで ただひとり芸術家になったひとは、いつも「ふつうのサラリーマンになってみたかった」と漏らす。はじめてのボーナスでクルマのローンを組んで、結婚をして、マイホームを買って…という、ふつうの人生を送ってみたい、と云う。彼は大学を出ていない為、何があっても一流企業のサラリーマンにはなれない。どんなひとにとっても、憧れというのはいつも、宿命的に絶対に不可能なものなのかなー、と考えたりする。会社に届いた雑誌の記事で誰かが書いていたけれど、ほんとうはサラリーマンは格好良いものでなくちゃいけない。年をとるごとにお金を稼いで、家族によい暮らしをさせてあげて喜ばれて尊敬されて、クルマも家も別荘も買って、勤め上げる頃にはどっさり退職金を貰い、孫に沢山お年玉をあげる。古臭いと思おうが云われようが、こういうサラリーマンは凄く格好よい。理不尽に耐えなくても、卑屈な思いをしなくても、元々持っている知性だけでスマートに渡ってゆける人生もあると、もうちょっと信じてよいと思うのだけど。この日昇進が発表されたYさんの家では、奥さんとお子さんで手巻き寿司でお祝いだろうか。幸せそうな妄想がふくらむ。