我執に呑まれる

風邪2日目。うがいをすると、喉からドバと血が出た。死の影がちらつくのだが、喉と鼻以外の症状は出ないので、吐血は見なかったことにして仕事に邁進。各種イベントの挨拶文の構成や校正など。『本日はお忙しい中お集まりいただき、まことにありがとうございます…、』から始まる、「校長先生の挨拶」的な形式的な口上は、おとなになった今でも退屈で大嫌いで「はやくおわれ」としか思えないけど、自分がその草案を書くようになっても、それは変わらない。「はやくおわれ」と思いながら書いている。今作成しているのは、月末に刷られ、4月に配布される挨拶文なので、「満開の桜の下、このようなイベントを開催できまして…」などと好き勝手に書いてはいるけど、当日 ほんとうに桜が満開になっているかどうかなんて、正直 こちらの知った話ではない。大丈夫かな。

この日は、来期からの組織再編関連でひとつ大きな事件があった。わたしの苦手な、英語が大得意なのにも関わらず、その英語力を駆使しても、日本人との日本語での会話と同様、間違いなく外人との英語会話でも気の効いた会話などロクに成立しないであろう、と思われる同僚が、彼女のアイデンティティそのものであったグローバル関連プロジェクトから離脱することになったのだ。彼女は一年前、そのプロジェクトの為に中途入社してきたひとだから、事実上の、ものすごい左遷。案の上、泣いて泣いて泣いて泣いて、会議室とトイレで5時間くらい泣きぬれて、彼女にとってはノストラダムスの大予言、恐怖の大魔王が舞い降りた日といっても過言ではなかったと思う。とはいえ、左遷であるか否かはともかく、企業にいれば配置換えなど日常茶飯事、自分のしてきた仕事の結果次第で上がりも下がりもするわけであって、それを理不尽な不幸と捉えるか、ひとつの評価・結果として厳粛に受け止めるかは、そのひと次第というものだけど。

「あんなに一生懸命頑張ってきたのに!この業務ができるというから、この会社を選んだのに!約束が違う!国内の仕事なら、他社でだって幾らでもできる、ならばこの会社にいる意味はない!わたしの人生をどうしてくれるの!」というのが、上司に泣き喚いて訴えた彼女の主張だ。けれど、上司は1年間の業務の中で まさしく彼女のこういう性質を見抜いたからこそ、担当を外したのだと思う。彼女は友人作りにしても仕事にしても、一方的に自分のものにしようと、相手を追って追って追い詰める。仕事もひとも、追われた分だけ逃げていく。的が外れている、と感じるし、周囲のひとの息を詰ませる。

彼女は常々、自分はグローバル担当だから、国内限定で仕事をしているひとたちに嫉妬されて困る、と苦笑いしながらこぼしていたが、その論法に準えると これからは彼女があたらしい担当者に嫉妬することになるのだろうか。だからあんなに泣き喚くのだろうか。女だからとか 頑張ってきたからと言って、仕事の選り好みを理由に会議中に泣き喚くなんて、果たしてまかり通るのだろうか。この出来事に、(最大限にやさしい種類の人々からも)最終的にかならず軽んじられる理由がすべて集約されている気がして、非常に気が重くなる。それでもなお そのひとは、あなたの実力とは関係無しに、人員構成上仕方無かったんだよ、という、嘘の慰めや励ましの言葉を求めている。悲嘆にくれる彼女の期待に沿った、薄ら寒い嘘をぬけぬけと口にするのが嫌で、沈黙してしまう。わたしも観察者であるばかりでなく、業務に関してもいつ変更があるかわからないし、誰にしたって対岸の火事ではないけれども。春なんて別によい季節ではないのだ。空気だけはバカに呑気に暖かく、平和ボケに似た凶悪さがある。こんな季節、まともな人間なら鬱病になるのも全然おかしくない。

雨の降るなか、夜は地下鉄を乗り継ぎ月島へ行く。WRと、WRの同僚たちと一緒に、人生はじめてのもんじゃ焼きを食べる。一枚目は美味しかった。でも次からは飽きる。ビールがすすむ、と聞いてきたけど、すぐに満腹になってしまって、ビールさえ全然入らなくなった。雨の中、行きとは別の地下鉄を乗り継ぎ、帰宅。ねこが待っていた。ふたりして遅く帰ってきたわたしたちに、ねこが「おるすばん がんばったよ!」と訴えているように見える。WRは「でも、留守番を頑張ったって言われても、留守番の一体どこの部分で頑張るのだろう…」と真剣に悩んでいた。いや、でも、おるすばんは、この世でも有数の、孤独に耐える仕事ではないか?風邪気味なので、何もしないでそそくさと就寝。