世界は更新する

年度末を控えて大きな案件が続々と入り、昼間は少々胃がいたい。終業後、高田馬場で映画。待ち合わせに登場したWRが、顔を合わすなり「ボク いつもと違う箇所があるんだけどそれはどこでしょう?」と問題を出してきた。頭の先から爪先までを見渡してみたけどわからない。ウーン、と悩んでいると、目をぱちくりと開いて、キラキラさせている(詳しく言えば、現実世界の人間は、マンガの中みたいなキラキラ目にはならないので、「キラキラ」「キラキラ」と口で言っていた)。聞くと、昼間眼科に行ってきて、生まれてはじめてコンタクトレンズをつくったのだという。WRにとっては、急に視界が鮮明になり、世界が激変したに違いないけど、わたしにとっては世界もWRも朝とまったく違うところがない。WRはあれも見える!これも見える!と言いながら、早稲田通りの雑居ビル群の汚らしい看板の商業主義に毒されたキャッチコピーを嬉々として読み上げていた。

最終上映¥800で橋口亮輔監督『ぐるりのこと』を観賞。現代の邦画には、現代の邦画独特の、わたしの癇に障る 全然サブカルじゃないサブカルの雰囲気、住んでいないひとが妄想した下北的な雰囲気、早稲田の二文っぽい雰囲気が充満している場合が殆どで、ほんとうは全然好きじゃない。この映画も、はじめてよく見たリリー・フランキー、ああいう感じの男性がわたしはとても嫌いでダメで、その他 妻が錯乱して暴れる演技とか、相手のすべてを肯定して包み込んでくれるキャラの尼さんとか、わたしがもっとも苦手とする種族が続々と登場して、面白い映画だったし読後感はむしろ良かったくらいだったけれども、やはり「……こういう映画に、コロリといかされるようになったらおしまいだ」という、ひねくれた感情が湧き上がって仕方がない。映画でも本でもそうだけど、結局、女のひとの描かれ方に納得がいくこと、賛同できた経験が殆どないのだ。ほんの僅かな例外を除いて、殆どない。まったくない。裁判所の場面は好きだった。畳張りの待機室の、雑然とした風景。雑然とした人々の丸めた背中、会話の断片。無機質な埃っぽさが、とても人間くさく思える。

そう言えば、ブログに「自分には 本が沢山必要なのに、親が書籍代を出してくれない。理解のない親を持つと苦労する」という内容の記述を書いたひとがいて、彼のブログのコメント欄に友人や知人と思われる何人かのひとたちが、何でも親がしてくれるのが当然だと思っている、その感覚はズレてると思う、とか、経済的に親に依存しながら親の悪口を言うなんて矛盾している、とか、もう大人なんだからバイトでもして自分で買う努力をしたら?とか、挙句の果てにはお金を稼ぐことがどれだけ大変なのことか云々などという、お説教と一言で片付けてしまうのは失礼だけど、そんな感じのいわゆる一般常識に則った幾つかのコメントが並んでいて、わたしは私情とは関係なしに「そういう常識」の方にひどく違和感を覚えたのだった。

だって、自分の要求はこうだ、しかし相手の反応はこうだった、ならばこうしよう、言ってみれば実体験に基づいた、ただそれだけの記述であるのに、こと親のこと、ことお金のこととなると、きまって偽善的な一般論で相手を説き伏せ、非を認めさせようとする。わたしなんて、今まで生きてきた中で家賃というものを一度も自分で払ったことがないのだけれど、ふとした弾みでそれを人に知られた場合、わたしの家賃を負担しているのがまるでそのひとであるかのように、それを糾弾しはじめる人々がいたのであった。家族の中で円満に了解されていることであるにも関わらず、社会人なのにお前は甘えすぎだ、とか、今は優雅な身分かもしれないけど将来いったいどうするの、とか、挙句の果てには親が可哀想だとは思わないのか、情けなくはないか、あなたの親は子供の育て方を間違ったね、等々、これでもかという妄想を働かせ、口々にお説教をはじめるのだった。うんざりした。彼らは、親の遺産でマンションを買うひとにも、同じ説教をするのだろうか?それが批難されたという話を聞いたことがない。

お金の使い方なんて、ないひとはないなりに工夫をし、あるひとはあるなりに工夫する、ただそれだけのことなのに、突如として儒教的な価値観を持ち出して何かを言ってくるひとは、決まってただそれだけのそれを理解してない。楽して何かを手に入れ(ているようにみえ)るひとは、とりあえず批難しておかないと気が済まない。彼らの中で凝り固まった、実際のところ何の根拠もない信念や道徳心を、揺るがされたくないのだ。アルバイトしないと生活できない経済状況のひとはまったく別として、欲しいものがあればバイトでもしたら?というひとは、ひとたび学生でなくなったら、全員何十年も働きつづける、という事実を知っているのだろうか。アルバイトでの経験なんて、社会人になってしまえば、ものの3日か3週間か3ヶ月であっさりと追い越してしまう。お金を稼ぐのがどれだけ大変か、この言葉も、こどもの頃はしょっちゅう親から聞かされてきた。だけど、おとなになって思うのは、少なくとも日々倹しく暮らしてゆく分のお金を稼ぐのは、不確定な未来の為に勉強したり、こども同士の陰湿な人間関係に悩んだり、茫漠とした不安を抱えてじっと身を潜め、浅い呼吸で生きることより、うんと ずっと簡単だということだ。法律で守られている以上、吐き気を催すような理不尽でさえ、滅多にない。少なくともおとなになると、周りのおとなの数も増えてゆき、したがって生きることがこども時代の1000倍は楽になる。ほんとうに ほんとうにそうなのに、どうして それを認めるひとが少ないのだろう?ピーターパンシンドロームのシンドロームなのだろうか。あなたはとても恵まれているのだから感謝しなさい、この言い方だって同じことだ。比較論でしか満足や感謝を測れないなんて、見下ろすものと見上げるものを常に選別して生きていくようなものだと思う。……馬鹿じゃないの?……こだわったり怒ったりするような類のことでもないけど、反抗するのが美徳だなんて思わないけど、世間の感覚、一般的な常識というやつが、時々ほんとうにわからない。でもいいの。おまえたちのことは全然もういい。うちのねこちゃん まいにちゴロ寝して遊んでるけど、手がまるくてふかふかで可愛い。