死後のわたし

明日に向けて 仕事が異常に忙しい。とはいえ 普段体力や知力を温存しつつ、休み休み行っている業務を、1秒も物思いに耽ることなく3倍速で機械的にこなしていくだけなので、忙しいとはいえ、特に大変というわけでもない。こんなときは時計も3倍速で回転するので、一瞬の隙をついて時計に目をやると、さっき時計を見たときはうららかな昼下がりだったのが もう夜になっていたりして、逆バンジー的に竜宮城気分が味わえる。さすがにへとへとになって帰宅。帰宅途中に、先日渋谷のパルコで見かけた、色とりどりの飴玉のようなチャームがついた靴のことを唐突に思い出し、それを見に出掛ける。2日前にお店の前を通りかかったときは「どうせ高いんだろうな……」と思って、近寄ることもしなかった靴。傍に寄って見てみると、とても安っぽい見た目の代わりに、値段も相応に安かった。安かったので衝動買いしてしまう。世の中に存在する殆どの靴が足に合わなくて、わたしはいつも靴を探している。この靴だって、ヒールがないのは上等だけれど、底があまりにもペタンコなため、きっとすぐに足が痛くなる。だけれど、今ある靴よりはマシなんじゃないか?と藁にも縋るような気持ちで一縷の望みをかけて、また新しく靴を買ってしまう。足に合わない靴を、あと何十足 何百足購入してわたしは死んでゆくのだろうか。死ぬときはどうせ何も持って行けない、とかなんとかってよく聞くけれど、三途の川を渡る際には 杖や六文銭と一緒に草履を履かされるのではないか。最新技術を用いて作った現世の靴でも足が壊滅的に痛いわたしに、真新しい草履を履かせるなんて、かたい鼻緒が指又に食い込むのは自明の話。日々足が痛くて死にそうなのに、死んだあとでも、絶対的に足に激痛。激痛が約束されている。冥途をヒョイヒョイと元気に闊歩していくひとびとを横目に、足をいたわりつつ、後から来たひとにも追い越されていく自分が容易に想像できる。生きるのも死ぬのもつらいことだ。明日は、今月の仕事のクライマックス。絶対に休んだり遅刻できないばかりか、ほんの僅かの体調不良や不具合でも、この日ばかりは取り返しのつかない事態になるだろう。会社に忠誠を誓うつもりは毛頭ないが、わが身を案じて早々に就寝。