一瞬の勘違いを錯覚したり信じ込んだり忘れたりとか

金曜日。いつもなら、金曜の朝が昼に、昼が夕方になるにつれ、週末が迫ってくることが嬉しくて嬉しくて自然と何でも許せてしまうような心境になるのだけれど、この週末に限っては、翌週明けたところで ここ数週間悩みに悩み抜いてきた、とある原稿のプレゼン付き提出日が待っているので、土曜 日曜の休日は楽しみだけれども、それを越えたところにある新しい週に関して、早くも憂鬱な気分に襲われて仕方がない為、週末の到来をいつもみたいに手放しに歓迎する気には、全然なれない。

締め切り直前まで持ち越さないように、金曜のうちに残業してでも仕上げるべきだったかもしれないけれど、とにかく来る提出日が憂鬱すぎる為に、目の前の作業も手につかず、本末転倒にも気疲れが過ぎて、気分を悪くしている。治りつつある筈の、歯茎が化膿していた箇所も、心なしかドクドクと痛い。定時が迫る頃、同期入社、下の部署、同じ駅に住むSMさんから「今日、残業なかったら一緒に帰らない?お茶しよう」との連絡があり、逃げる理由を見つけた気分で一緒に帰ることにする。最寄り駅まで電車に揺られて、SMさんが行きたがっていたカフェに行く。ここは、我が家の方面からはちょうど「駅を挟んだ向こう岸」に位置するカフェで、すなわち 半年前までわたしが住んでいたアパートにとても近いお店で、会社員でなかった頃は特に、ひとりで本を読んだり、(照明が暗いし、テーブルと椅子の高さが書き物に不向きなので)メモ書き程度の原稿を書きに行ったり、あるいはこの町まで訪ねて来てくれた友達と、お喋りをする為にしょっちゅうやってきていたお店だ。芸能人…とまでは行かない、ミュージシャンや編集者と思われるひと、打ち合わせ中のデザイナーなどをよく見かける。とはいっても、所謂お洒落なカフェではなくて、幾つかの種類の珈琲や紅茶のほかには、チーズケーキとサンドイッチくらいしかない。純喫茶に近いお店で、いつ来ても心が落ち着く。SMさんと、会社の話や家庭の話、近所のお店の此処は良い、此処は気になる、といった噂話に花を咲かせる。SMさんは、帰宅がどんなに遅くても、飲み会などがない限りは夫が外で夕飯を食べてくることがないらしいので、23時からでも午前0時からでも、ラーメンやチャーハンのようなものではなくて、一汁三菜の夕食を誂えなければならないという。わたしには、絶対に、考えられないし、WRもそんな負担のかかる決め事なんて、絶対に望まないと思う。家のルールはそれぞれ。とはいえ、わたしにはそんな深夜の夕食作り、罰ゲームの一回限りだとしても嫌になりそう。

SMさんと駅で別れて、21時頃に帰宅。WRの帰宅はもちろん未だ。カフェで濃い珈琲と、チーズケーキを食べたので、空腹は感じず、小さいうどんをつるつると食す。金曜日の夜、夜風が春か初夏のような日は、夜がすっかり暗くても、街灯と月明かりが同じレモン色の明るさであかあかと照らしてくれるようで、どこまでも歩いていっても、大丈夫という気がする。それぞれの生活、それぞれの部屋の中はぜったいに見ることができない、わたしがこうやってピアノの音に耳を傾けたり、珈琲の苦味を水道の水で濯いだり、髪の毛を丸めてベッドに寝転がっているあいだに、わたしが絶対に考えたくもない、見たくもないことが起きているかもしれない、と 在ることも無いことも、そのどちらだって証明しようのないことが今になって急に頭に閃いて、ひとり 動悸を感じたりしている。わたしの意識に、言葉に、時々こうして書くものに、わたしの認識の対象が投影されないわけにはいかないみたいに、絵の具の混ぜ方や一瞬の絵筆の払い、コード進行、シャッターを切る指先にも、そのひとを捕らえてしまった何かが関与される。関与している。インターネットの 殆ど気が狂っているとしか思えない人生相談のタイトルの羅列を目で追っているうちに、眠くなった。無責任で稚拙な批評にもならない批評をうわ言のように繰り返しているお前なんか消えろ。