テンションからの解放

火曜か水曜が〆切だったはずの仕事。月曜の午前中 唐突に部長に提出を迫られ、中途半端ながらももうそれ以上の考査不可能な感じだったので思い切ってそのまま提出。どういう形であれ 自分の手から離れてしまえば、あとは野となれ山となれ、わーい、荷が下りた!完璧主義的なプライドと、「だが出来ない」という自家撞着で ここ数週間は会社にいても 始終心が圧迫されていた。〆切日に自ら提出しに行くよりも、部長にフライングで取り上げられるかたちであることも助かった。ふう、しかし疲れた。あとのことはもう知らないし、考えたくもない。

春のせいとは言わないけれど、この頃 物思いに囚われている。せっかく残業が減ったのに、寄り道さえもうまくできない。あそこのお店に行ってみよう、と考えて、50歩歩いたところで嫌になり、来た道をまた引き返し、家に戻ろうとする道すがら、今度は駅の正反対の 銀行に行く用事を思い出すのだ。空想と手足がバラバラだ。喉が渇いているのに 水の代わりにビスケットを齧り、外はすっかり暑くなっていることを知りつつも 分厚いタイツを履いて出る。こどもの頃から、ずっと音楽家になりたかった。きっとわたしは、なれるものには決してなりたいと思わない。自分にとって、特別であることと そうでないことを選り分ける。砂漠にぺたりと座りこんで、さらさらさらさら 砂粒をふるいにかけている気分。太陽は 日が暮れる途中で半永久的に動くのをやめ、砂の粒だけが さらさらさらさら 落下している。

WRは残業。わたしひとりの夕食は、全然まともとは言えない。コンビニの棚にある添加物入りのパンでも良いし、果物のゼリーでも良いし、後は冷蔵庫のなかのチョコレートとか。わたしの場合、将来仮にこどもを産んだり育てたりすることがあるとすれば、その意義は多分、わたしの生活を正すこと、それに尽きるような気がする。タバコやめる為にこども産むとか。こんな不純な動機によって生を受けた人間に、優秀であってほしい、安全で幸福な人生を歩んでほしい、という親の一方的な願いをかけるのはさすがにおこがましいし そもそも望むべくもないわけで、産まれてしまえばあとはもう、天才でも変態でもバカでも何でも好きなように生きてください、としか思えないと思うので、結果的に及ぼされる結果は、かえって悪くないとも思う。春の夜が長くなる。ねんねこ と ねこんこで遊んでいるわたしを眺めてWRが「このねこたちも、うちに来てもう一年になるのかー」と呟いたので、わたしは ああもう一年になるのか この ねこ たちは日ごとに可愛さを増してゆくし、時が経つのはほんとうに早い、と思い、ほんとうに一年にもなるの?と聞いてみると「いや、実際はまだ半年だけど」などと言うのでギャフン。単に「もう一年も経った」みたいなことを、言ってみたかっただけだったようだ。オーケストラ聴きに行きたい。Trpがパーン!ティンパニがドーン!派手なやつ。