若い犬の夢

しごと多忙。夜はライブ。ほんの数年前までは しごとがあってもなくても、週に2回も3回もライブハウスに行っていた。今は、友だちのバンドなんてそうそう見には出掛けないし、そもそも 今はもう既に、フラリと立ち寄れるような場所でやっていないひとが多い。勤務先の終業時間になるのを今か今かと心待ちにして 鐘が鳴ったと同時に脱兎の如く会社を飛び出す。学生時代も含め、20代の自分の思い出は大体そういうことだった。ともだちがいて、顔見知りがいて、恋もあった。中学生の頃に花火を見にいったことと同じ種類の、稚拙で恥ずかしくて懐かしい記憶。ライブハウスには、こどもしかいない。そしてわたしはこどもが嫌い。

ここ数日、あれ?自分は何か物凄い悪いことをしてしまったのではないだろうか?という 根拠無き責苦が日に日に大きく膨れ上がって 苛まれている。失言したとか失敗したとか、具体的に述べられることは一切無いけど、登場人物全員の善意でしか成り立っていない事柄、それぞれがしぜんに振舞った事柄が、わたしの精神衛生のうえで さいあくの影響を引き起こしているような、ふと油断すると すぐにそんな疑いを抱いてしまう。人と人同士、あるいは出来事と出来事同士の化学反応は、それこそが他人と関わりを持つ喜びであり、また、予測しえない苦労や災厄、傷つくことの元でもある。少なくとも、こんなふうに わたしの身体の中で、べっとりと重油がはりついたように内臓ばかりがやけに重たいのは、それだけでも悪いことだ。ああ、悪い。悪い悪い悪い。

ライブは とてもとてもよかった。けれど ほんとうによいものに対しては、とても簡単に「よかった」なんて書きたくないので詳細は伏せる。WRは決算で超多忙なので、最初から来れないことはわかっていたけど、それでもやはり今夜の出来事は、WRにも是非とも見ていてほしかった。南部を愛してやまないので。

夜風が心地よく頬にあたる夜。よい音楽を聴いた夜は、そのまま一晩中でも歩きつづけたい気分になる。明日は祝日だけど、わたしの会社は通常通りの出勤日なので、先程の余韻でよろよろと足もとをふらつかせながら家に帰った。WRは今夜も夜中の帰宅。ねこを両手に持って、巧に操りながら話しかけるも、靴下を足の甲の途中まで脱いだ状態のまま、ベッドに倒れこんでしまった。ゴールデンウィーク ハタラキ蜂のわたしたちは、何処にも行かず、まるで今日みたいに過ごす予定。